[コメント] 悪人(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「パークライフ」の何気ない日常描写が気に入ったことで、吉田修一は注目している現代作家のひとりです。行定勲監督が映画化した『パレード』もなかなかの作品に仕上がっていたと思いますが、この『悪人』の方がより完成度が高かったと思います。原作者自らが脚本に参加しているせいもあるが、ここまで原作に忠実に、かつ映画ならではの魅力が損なわれることなく映像化されれば、作家冥利に尽きるのでは?
李相日監督は前作『フラガール』で力量を発揮したことが記憶に新しいが、そのときに魅力のひとつとして感じたのは作り込まれた美術だった。福島の炭坑の雰囲気があってこそ、正当派サクセスストーリー以上のものが生まれたのだと思う。今回も、種田陽平が美術に参加しているが、妻夫木聡演じる祐一が済む田舎のボロ家であったり、祐一と深津絵里演じる光代が最後に逃げる灯台であったり、舞台設定をしっかり作り込むことで感じさせるものが強くなるという点で、『悪人』も『フラガール』も共通していると感じた。そして、どちらも本当に日本の田舎が舞台であることを有利に働かしている。こういう映画が、海外で評価されるのも多いに納得である。
原作を読んでいると、もちろん省略した部分が目につくのは当然だ。だが、全員熱演の役者陣の力と、久石譲による音楽の力、そして不穏な空気を感じさせるざらついた映像の力など、映画的な魅力が詰まっていたので、原作から省略された部分を「不足部分」と感じることがほとんどなかった。そういう意味では、脚本も非常に練り込まれている。脚本に名を連ねる原作者本人がどこまで関与したかは定かではないが、主張しすぎず、妥協もせずという、良いバランス感覚で制作に携わったことが予想出来る。そうでないと、こんなにまとまらないだろう。
映画的な変更で、巧いなと感じたのが、祐一が光代が働く紳士服店を訪れるシーン。原作では、上司と食事の約束をした光代の退勤間際に、すでに佐賀に向かっている旨が祐一からメールで伝えられ、光代の喜びと動揺を描く光代視点の描写だったが、映画では祐一がいきなり出向き、初対面のときに言えなかった思いを伝えるという祐一視点に変更されている。原作のエピソードだと映像としては映えないこともあるが、もの静かな祐一が自ら出向くという主張をしたことで、嘘ではない光代への思いが伝わってきた。説明ではなく、映像にしっかり感情を語らせた好例だと思う。
個人的には、原作の中でも核になるであろう台詞に、映画でも一番と言っていいほど大きな重きを置いていたことに喜びを覚えた。
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ。」
娘を殺された父親が方言まじりに言うこの台詞、タイトルにもなっている「悪人」が本当は誰かを問うという意味でも、現代社会に対する負の思いを感じさせる警笛という意味でも、非常に力強い言葉に思える。それを、柄本明の迫真の演技に語らせるのだから、それは響いてくるでしょう! 小説と映画で、名場面が共通しているのもこの映画の長所に思えます。
ラストシーンは、原作より余韻を残していることが、より映画的に思えました。原作を読んでいると、もっと具体的に、どうなんだろうと迷うこともなく、祐一が光代の首を絞めた理由がわかるようになっています。ただ、それを映画でやると、ちょっと説明臭くなるはず。原作未読の観客には考えさせる良い幕引きだし、原作読者の観客にもニュアンスの違いなど感じさせない良い幕引きなのです。「どっちも被害者にはなれんたい」というストレートな台詞が原作内には終盤で登場しますが、それを映画では言わせなかった。言わせなかったけど、それを語れていたからこそ、この映画は見事に着地したのだと思いました。
ちなみに、朝日新聞が批評で「ザラザラした粒子の粗い画面で濃厚な人間の業が開陳される本作は、『21グラム』や『バベル』で知られるメキシコ出身の鬼才イニャリトゥ監督のタッチを連想させた」と書いていたようですね。直接的に方法論が似ているわけではないが、感覚的にそういう風に思えるのは、どこかわかる気がした。これは、紛れもなく「映画」であることの証明だろう。
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