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[コメント] ベスト・キッド(2010/米)

少年の母親が、ヒステリックな出目金みたいな女になっていて、頭痛がしそう。影絵を用いた繊細な演出が本作の白眉だが、全体的には、オリジナル版の文化摩擦的なニュアンスが消えてしまったせいで、奥行きを欠いた感がある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「あ屎送尿、著衣喫飯、これ全て悟りの道なり」といった観のある、日常的動作を武術の技へ変換する面白さに「上着拾い」という独自のアイデアを出したのは好印象だが、これはもっと、礼儀作法の学習と絡めて少年の成長の表現としてもっと活かせたのではないか。ピタゴラスイッチ的面白さに終わり気味であるし、もう一、二個アイデアが欲しい。

オリジナル版では、師との交友という面の強い雑用的行為が修行に組み込まれていたが、本作は、母から幾度も叱責を受けていた上着放りっぱなしが修行となっている。だがこの母が、観客の方で味方になってあげたいと思えるような人物ではないので、ドレ少年が上着を拾う姿も別に感動的ではない。

ドレとメイが七夕祭りの影絵を一緒に見るシーンでは、メイが語る、川で隔てられた恋人たちが一年に一度だけ会えるという伝説のように、ドレとメイは、スクリーンへと射す光線を挟んで座っていて、言わば光の川で隔てられている。二人が、影絵の恋人たちと同じく口づけを交わすとき、二人を隔てていた当の光線によって、影絵のスクリーンの上で二人の影がひとつになる。

ドレは、思いがけず、バイオリンの審査の当日にメイを遊びに連れ出してしまい、彼女の親はドレとの交友を禁じる。それを、他ならぬメイ自身の口から告げられてしまうドレ。元々は、メイを苛めっ子から救おうとしたことでカンフー大会に出る羽目になっていたドレは、ここでその動機を半ば失ってしまったとも言えるのだが、ここで師のハンの哀しい過去を聞かされ、ハンの車のヘッドライトで二人、影絵を演じることになる。

アメリカ映画でいかに車が少年の成長や自立と関わりを持っているかは、『グラン・トリノ』から『トランスフォーマー』のバンブルビーに至るまで種々例があるのだが、オリジナル版『ベスト・キッド』と対照的に本作では、車は一ミリも走らず、ハンのトラウマである、妻子の命を奪った事故の反復として、無惨にガラスが割れボディが歪んだ様を晒す。その車にドレがハンと並んで座る行為と、その車のライトで、両手を棒で結んだ二人が演舞の影絵を見せるということ。車そのものは不動のままに、車を用いて「同乗」と「前進」を表現する。更に、メイとの影絵の反復であることで、ドレの喪失感を埋めるシーンともなっている。

この、師の過去という点でやはりオリジナル版を想起させられるのだが、日系アメリカ人である師・ミヤギは、飄々とした、どこかとぼけたキャラクターゆえに、その過去が際立っていた面がある。対してジャッキー師匠は最初から根暗に過ぎて、むしろ何か理由となる過去があってくれた方が安心できるくらいだ。結果、過去の告白の衝撃性は緩和されてしまうし、そもそも、彼自らがそれを口にするという弱さが、矜持や含羞という点で、ミヤギ師とダニエルさんの関係性のような感動を呼ばない。

また、舞台が中国に移ったことで、言語的障碍や孤独を抱えるのは師から少年の側になるのだが、仲良くなる少女はおろかライバルの少年、学校の先生まで、主要な人物は英語を話すので大した障碍にならない。そもそも、引越し早々ドレが出会うのは西洋人の少年であり、言葉が全く通じない戸惑いや怖れがいきなり軽減されてしまう。オリジナル版では、悪の空手教師が主催する道場での「ハイッ、センセイ!」といった英語訛りの日本語が、形だけ真似て精神は疎かにされている空手をうまく演出し得ていたのだが、本作は悪の側も普通に中国人なので、そうした異文化交流にまつわる微妙なドラマが醸成されない。

つまり、師の過去が交通事故という一般的な事象になり、悪の側も、文化的勘違いと関係の無い、本人の悪人的性格に還元され、ドラマの重層性が減退してしまった嫌いがある。ミヤギが英語の合間に「ハイ」とか「ダニエルサン」とか言うニュアンスと無縁のドレ少年の言語的孤立は半端にされ、彼の孤立は「苛められている」というこれまた一般的事象に吸収される。「Krate」とカンフーの違いに無頓着なタイトルからして当然の帰結とは言えるが。

それに、決勝戦で師から「脚を狙え」と指示された瞬間のライバル少年の顔に浮かぶ絶望と失望が足りないので、最後の改心も、自分を負かす一撃を受けて却って救われたといった解放感が弱まってしまった。加えて、「鏡のように静まった水面のように心を鎮めることで、相手がそれと気づかずこちらの動作を模倣してしまう」という、奥義中の奥義のような技を、ドレが行なってしまうというのも、安い演出。

(評価:★3)

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