[コメント] 借りぐらしのアリエッティ(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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翔がアリエテッティたちの住まいの天井を強引に剥がしてドールハウスのキッチンを置いていくシーンは、その天災のような暴力性と少年のキャラクターがまるで噛み合わないのだが、それはそれで、小人と少年のスケール感のギャップということで了解はできる。とはいえ観客の立場からすれば、このシーンには、小人たちにとっては天地がひっくり返るような事態を招くことなど露ほども感じていない少年の側の視点も欲しいところ。小人視点のみなので、観客にとっても少年があまりに粗暴に見えてしまう。
また、こうしたギャップから始まるのはいいとして、その後に翔が、小人の視線に寄り添うようにそっと振舞える繊細さを得ていくプロセスが描かれていればよかった。それが無いせいで、色々と冒険を盛り込みながらも、全体的に妙に平板な印象を受けるのだ。小さな者たちの立場に立って振る舞える繊細さを翔が獲得する様子が描かれてこそ、彼自身がアリエッティに対して「君たちは滅びゆく種族なんだ」と、アリエッティたちの日々の奮闘も知らずに言ってのける台詞もまた、彼がその考えを改めることで、小さな生命への慈しみと、それによってむしろ自身が生命力を教えられるというエコロジカルな意味合いも、多少の説教くささはありながらも自然に受け入れられた筈。
それに、家政婦のハルの言動があまりにサディスティックで、悪役を割り当てようという脚本上の都合が透けて見えて嫌。彼女がネズミ駆除業者を呼んで小人を捕獲しようとする行動も、先述した、他の生き物たちへの配慮という繊細さを欠く行為として際立たせる意図があったのだと思うが、翔の部屋に鍵をかけるといった行為の行き過ぎ感などに異常性が漂って、どうもよくない。
一連の騒動が過ぎ、翔の叔母がドールハウスのキッチンに残ったハーブの香りに気づいて、ポットの中の葉を見て「お茶を淹れたのね」と嬉しそうに呟くシーンのような、人と小人との小さな触れあいを繊細を描いたシーンが、もっと欲しかった。
スピラーはなんだか『未来少年コナン』にこういう少年がいたなと連想させるキャラクターだが、アリエッティらとはまるで文化的に異なる生活を営んでいるらしい彼の存在は、小人の世界は存外広いのではないかという希望を感じさせてくれる。彼が活躍するアクションシーンが幾つかあってもよかったように思う。
アリエッティがダンゴムシを掴んで、丸まったそいつをボールのようにポンと宙に投げて受けとめるあのシーンは可愛らしくていい。ナウシカに次ぐ「虫愛ずる姫」?だが、最初の「借り」で針を手に入れたアリエッティ、遥か下に見える鼠に注意するよう父に言われるが、針で鼠なり何なりと闘うシーンが無いのは片手落ちで肩透かし。
冒頭のシーンでは、やや上方から人間たちの生活空間を捉えたカットが続く。そして後から、「敵」としてカラスが登場。となれば、空を飛ぶカラスからは人間たちもまた、人間から見た小人たちと同じように見えている、ということを巧く利用して、カラスを翔と小人たち(アリエッティだけでもいいが)の共通の敵にしてみたり、鳥に乗った、乃至は鳥のように飛んだ小人たち(実際、スピラーがムササビのように飛んでいるが、アリエッティが見上げるカットしかない)が人間世界を見下ろすカットが登場してくれてもよさそうなものだ。
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