[コメント] メアリー・オブ・スコットランド(1936/米)
本作も開巻は扉が開くショット。舞台はイングランドだ。エリザベス1世−フローレンス・エルドリッジが入ってくる。この傍若無人さの感じがいい。西部劇の女傑のようじゃないか。メアリーのフランスからスコットランドへの帰還を阻止するよう部下に命じるのだ。
メアリー−キャサリン・ヘプバーンは足からのティルトアップで登場する。序盤では、メアリーが最初にエジンバラ城に入城する場面から始まる一連のシーケンスが素晴らしい。義兄のモーレイ−イアン・キースをはじめ、元の家臣たちの慇懃無礼さ。中ではドナルド・クリスプだけが変わらない忠臣だ。部屋に入って、フランスから連れて来た秘書官のリッツィオ−ジョン・キャラダインと二人だけになる。キャラダインの脚がメッチャ細いことに感激する。窓の外から、群衆が歌いながら入城して来る。さらに、新教徒ジョン・ノックス−モローニ・オルセンの扇動シーンがあり、そこに、バグパイプと共に満を持してボスウェル−フレデリック・マーチが登場する、といった人物の画面への出入りを畳みかけて見せ、迫力満点なのだ。
最初に書いた端折り過ぎ、という部分の例をあげておくと、ボスウェルがメアリーに愛していると告げるのも唐突だし、結局メアリーは国のためにボスウェルとの愛を捨て、ダーンリー−ダグラス・ウォルトンと結婚する、また、その後のダーンリーの顛末を描く部分(本作では爆殺される!)なども急展開過ぎる構成だとは思う。さらにメアリーとボスウェルの帰結についてもだ。しかし、端折られて、ポイント部分のみ提示されているとしても、具現化された場面は、どれも力みなぎる演技・演出が横溢しており、全く見応え十分なのだ。
では、本作のフォード演出で感心した細部をいくつか記す。この映画、シーン転換でフェードアウトする前に、照明を落とす演劇的な演出が多数ある。特に後半が多い。例えば、ダーンリーの前の机の上に短剣が置かれるショット(秘書官のリッツィオ暗殺を強要される場面)。あるいは、メアリーが、騙されて、イングランドに幽閉されたことを理解するシーンの終結部もそうだ。また、フェードアウトはしないが、ラストで、階段を登るメアリーのショットでも照明が暗くなる。このショット内でティルトアップして空を映し稲妻を走らせるのだ。
そして、全編に亘ってヘプバーンの凛々しい佇まいと、毅然とした演技が一番の見どころだと云うべきだと思うが、特に、終盤のイングランドでの裁判シーン(高いところに判事たちがいる美術装置の造型も凄い)と、処刑前夜にエリザベスがお忍びで会いに来るシーンが素晴らしい。王位継承権を放棄すれば殺さないと云うエリザベスに対して、それを拒否するメアリー。エリザベスの次の王は我が子なのだと云う。結局私の勝ちなのだと。ま、こゝもちょっと演劇的な場面だとは思うけれど、やっぱり感動する。この後(1603年以降)、現代のエリザベス2世、チャールズ3世にいたるまで、イングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべて、メアリーの直系子孫なのだ。エリザベスの子孫ではなく。
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