[コメント] おとうと(1960/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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少々粗いがほぼ全てに遊び心が出せる力量が、憎いまでに巧く偉大。画面の構図が練られていながらも、あえて要所要所の構図を外すことを、この作品では掲げていたかのような余裕が作品を「枠」に閉じこめないで開放しているといえるので、見習いたい点。寛大に目を開かないと、見えなかった点だろう。
コメディ仕立てに弟が放蕩息子をしっかりと最後まで演じきる事実を、コメディで最後まで突き通せるまで見届けた父親の優しさが羨ましい。そして、田中絹代節が炸裂している母親の一見教条的過ぎた過剰な振る舞いがあってこその兄弟愛の密度の濃さが存在していたのだとすると、継母の振る舞いは神の使いの振るまいと相等しいといえるので、人生何が善い方向に向かい、悪い方向に向かうのかわけがわからない神秘である。
で、この神秘的で皮肉な家庭内社会を支えているようで、実は彼等のいびつさに依存し続けていた姉の存在は、弟を殺し、開放するために送りまれた神の使いだったのだろうと私は思っている。一見、姉が弟を守り続けていたように描かれているその裏面をひもとくと、姉がじわじわと弟の首をしめつけ、扼殺に追い込んでいったんだと自分なりのオリジナリティーが欲しいから、そう見えた。またこうも言える、「大量の優しさ」が人を腑抜けにし魂を抜いてしまう事実をしっているからそう見えざるを得なかったのかも、と。
優しさと厳しさを上手に与えることが出来なかった少女の未熟さが、両親の未熟さのそれを隠蔽しているのも悲劇ではある。ラストの気の狂いようは、それの象徴に過ぎないし両親は弟の象徴であった。
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これら不可解きわまりないユニークな展開を、市川崑と宮川一夫が上手にオブラートに包み込み、テーマを相手に搾り切らせなかったのは映画ならではの技術であり、映画の醍醐味が堪能しまくれる作品だったと思いたい。実に内容の濃い作品だったと記憶したい。
2002/6/20
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