[コメント] 築城せよ!(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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戦国時代の武将の魂がよみがえり、町おこしを企図する現代の地元民とともに城を復元する。ただし時間がないので段ボールで。という着想はバッチリ。しかもその設定下で繰り広げられる登場人物たちそれぞれの心情や行動規範といったドラマに作為的なものが感じられず無理がほとんど感じられない。変な言い方だが、「戦国武将といっしょに段ボールで築城する」ということが実際にあった話で、そこに関わった人たちの行動や心情が実際に描かれているドラマを見ているようだった。こういうのがフィクションとしては一番かっこいいと思う。
猿投に伝わるお手玉や伝統工芸は、その地で時間という縦糸に連綿と受け継がれてきた「つながり」である。戦国の武将が現代の甲冑職人に鎧を修繕してもらうというエピソードがあるが、恩大寺隼人将の立場を自分に置き換えてみて、自分たちが培ってきた技術を後世の人がきちんと再現しているのを見つけたとしたら、それはどれだけ嬉しく思うだろうか。
はたまた町の人々がみんなで協力して段ボールを集めてきてくれる場面がある。『刑事ジョン・ブック 目撃者』という映画でも一番好きなのが、みんなで家を建てるシーンだったりするくらい、物が作られていく場面を見るのが単純に好きだっていうのもあるが、みなで何かを一緒に作る喜びという、横の「つながり」を感じられるのもうれしい。城攻めの軍勢から城を守るため、隣の人と手をつなぎバリケードを作る場面などは「これまさに人は石垣人は城也」という恩大寺隼人将の台詞が響きわたり(実際はそんな台詞なかったはずだがね)あざといなどというちんけな言葉を吹き飛ばしてしまう。
こうして、先祖の作ってきたわが町と子孫に残していくこれからのわが町という縦のつながりと、隣人たちとの横のつながりが描かれ、それは井桁のように交じわると建築構造体になるということを暗に匂わしているのも上手い。奇をてらったシュールのふりをしただけのものでなく正々堂々の物語だ。とっぴな発想できちんとした物語というのは私のフィクションに対する理想系。こんなの作った監督に猛烈に嫉妬する。
恩大寺隼人将という武将の人徳を感じさせるキャラクター造型も素晴らしい。ゴールを目指して進んでいく苦難の物語というのは、達成していく喜びと同時にやがて「いつまでもこの時間が続いてくれれば…」と思わせることができるかどうかが名作とそうでないものとの分かれ目だろう。どうだろう、恩大寺隼人将という人と別れるのは寂しいと多くの人が思ったのではなかったろうか?
片岡愛之助の「らしい」演技が本作のウソの生命線であることは言うまでもない。歌舞伎役者は立っている時や歩行時の重心の置き方などがさすがに鍛えられて様になっている。戦国武将が現代に現れるということのウソの面白さというのは、戦国武将が現代の風景に立っている時に引き起こすギャップである。城の建設現場で侍のかっこうをして、まるで映画の撮影現場で役者が扮装のまま歩き回っているみたいに見えてしまっては元も子もない。あるいは「フラボンの奴何やってんの」という視線に観客を誘導している中で、明らかにフラボンではない何かが憑いたことをわからせなければならない場面での、あのしびれるような「築城せよ!」という一声がウソを本物に転化してしまうのだ。
ウソを本物に見せる工夫は風景の見せ方にもある。
町役場の前の池をわざわざ馬で「渡河」させたり、役場のエントランスがオープンの吹き抜け(ピロティ)のようになっていて城門のような高低さを感じさせたり、シャッター商店街の暗がりと舗装タイルをたたく蹄鉄の反響音が夜陰に乗じる進軍を思わせたり、役所の天井からぶら下がった「○○課」の標識(の下をわざわざ通って)を木の枝をかいくぐって馬を進めていくような姿など、時代劇の風景と現代の風景のリンクのさせ方がよく計算されているし、段ボールとなれば否応なく連想する、あの風景であることを「文化祭のようだね」という台詞でコメントしてくれるのもうれしい。ナツキがなんでウェディングドレスなの?って最初は思うのだけど、ブーケをなびかせ天守閣を登る花嫁っていうのを、それこそ冒険時代劇で確かに見たことがあったような既視感を覚えさせてくれる。屋根が割れ真下に遠ざかる花嫁を固定カメラが描くのは、それこそ昔懐かし活劇の定番カットだ。この作品で描かれる風景が今まで見たこともない状況を映していながら、実はわれわれがよく知っている風景にコミットしているということがウソを本物らしく仕立てていくのであろう。
「こんなでも一国一城の主よ」って、ホームレスのおっちゃんが言ってそうなダンボールハウスの城という冗談。それを、朝日をあびて黄金に輝く城以外の何物でもないというクライマックスの大嘘として成り立たせてしまうという粋。そう、ああだこうだ言ってきたけど、結局この作品の魅力はそんな冗談を本当にやってしまったという遊び心に尽きるのだと思う。
最後に。ふせえりの「ムチウチ用ギブス」の似合いようといったらない。あれはそもそもふせえりという女優が笑いをとるために独自にあつらえた小道具だ、と後世に伝えたら伝わっちゃいそうなくらい似合っている。
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