[コメント] 四川のうた(2008/中国=日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ジャンクーは前作『長江哀歌』から滅びの意味を観客とともに問うている。前作では塔のような煙突ビルがストンと一瞬にして壊滅する映像を垣間見せた。人は常に水を求め咽喉を乾かせている。ペットボトルは欠かせない必需品だ。
今回は国家政策とともに生き延びてきた420工場が廃止となり、取り壊される。この工場の50年間とは一体なんだったんだろう。と、中国の現代史を数人の語りで観客に伝える。
最初はいかにも老工員の語りで、作業の技術的な話が多く、結構退屈していたら、そのうち、ちょっとした行き違いで実の子供と離れ離れになってしまった母親の眼差しに中国の生き地獄現代史を垣間見てしまう。
娯楽が何もなかった工場に1週間だけ映画上映があり、その主役女優に良く似ているといわれたことからその女優の役名(小花)で呼ばれるようになった中年女性の話がある。
映画のシーンがふと出てくるが、そういえばよく似ている。なるほどなあと思っていたら、、。
その他登場人物のハナシは単調そうできちんと芯があるのだ。工場の歳月とともにそこに働く人たちの人生にも年輪はある。何気ないハナシだが、胸に残る。
ところが、若い女性がルージュを引いている。見たことがある女性だ。というか、ジャンクー映画に必須のチャオ・タオに酷似している。ひょっとしたら、この映画はドキュメンタリーではないのではないか、といった不安が増してくる。
俳優を使ったドキュメンタリー風の立派な劇映画なのではないか、、、。
そう考えると、(小花)の疑問も納得する。うーん、こういう方法もあるんだね。 でも、脚本ではないと思っていた語らいが実際はジャンクーの言葉だとしたら、またこの映画の見方も当然変わってくるんですよね。
僕の場合はそれぞれの語りにしんみり感動を与えていた何かが突如崩れ去りました。だまされたとは思わないけれども、最後にチャオ・タオを持ってくることはなかったのではないか、と思ってしまう。
でも時間がたてばそういうもやもやも消え去り、この映画、立派にジャンクーしてましたね。町が消滅しても新しい町並みはまた新しく創生する。人間の思いは町とともに、歳月とともに変わっていくが、人間の本源的な営みは決して変わることはない。
この映画では咽喉の渇いた人間は登場してこない。それどころか、咽喉がからからになっても立派に自分の人生を朗々と語らい続ける。人間の人生は人に受け継がれて長江のように延々と長く続いていくのだ。ジャンクー自身の語らいが映像の奥から聞こえてきそうでした。秀作です。
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