[コメント] 重力ピエロ(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
と、どうでもいいことを語っているなあと思っているでしょうが、僕にとっては重要なことなのです。というのも、いつも原作を知っていて映像で違う伊坂を見ているあの擬似感から、今回初めて解放されたわけですから、、。
そう、素直に伊坂を鑑賞できるのです。いつもの、頭の中のごたごたが今回はないのです。初めてです。素直に伊坂を映像で見ることが出来るのは、、。こういうことを回避しようと思うなら、頻繁に映画化される伊坂作品は書物では読めないことになってしまいますね、、。
さて、映画に戻しましょう。
予告編でも鮮明だったあの「春が2階から落ちてきた」がファーストシーンです。印象的ですね。ただ、思ってたより安全な着地でしたが、、。でも、映像が桜満開(だったかな?)で美しかった。最初から文学的です。導入部はとても心地よい。
現代では奇妙なほど、不思議なぐらい仲のいい兄弟。そして父親を含めた家族。3人とも男なのに臭くない。匂わない。不思議な世界。文学的です。
映像では奇妙な絵画と放火と遺伝子情報との関連性が語られる。映画的であります。しかし(しつこいですが)文学的です。
弟はかなりのイケメンで、女子高生からも一緒に写真を撮ってください、とまで言われるほどだ。でも、そこに少女たちがいなかったように、彼女たちを、彼女たちの言葉を完全無視する。全く反応がないのだ。結構好きなシーンだ。僕も一回ぐらい世の中を無視してみたい、、(馬鹿なこと言ってる)。
兄は心配して女に興味がないのか、と聞く。弟はないことはないと答える。通常の関心がないことが観客に分かる。
変に仲のいい家族である。父親は弟が血縁でないことを知っている。ある意味、弟の出生を決めた人間である。母親は責任が半分になったことだろう。だが、どうして生んでしまったのか。そこのところは説明はない。事件の種を生んでしまうことは新たな悲劇にしかならないことを恐らくこの夫婦は知っていたはずだ。(まあ、弟を生まなければこのハナシは成り立たないが映画ではその説明はない。)
血縁とは何なのか。弟は真の父親と巡り合ってもそもそも自分の穢れた血から来る嫌悪感から憎悪しか感じられなくなっている。この父親も真の息子に会っても親の心情に気付くことはない。現代のモンスターに近い表現をされている。感情が全く欠落している不毛人間だ。
だからか、弟が実の父親をバッドで執拗に撲殺しても不思議と残虐とも思わなかった。血さえ通わない人間に対しては観客(僕)は憎しみさえ持たない。まるで植物を撲殺しているような不思議なシーンだった。
映画の話はここで終わりだ。重力ピエロの意味深なサーカスシーンで画面は終わりを告げる。確かにピエロは顔一面笑顔だからロープから落ちるわけがない。すると、弟が二階から降りてきた(落ちてきた)のは笑顔でなかったからということになる。
僕はこの映画、「血縁があることより、家族は家族なんだ」、なんて陳腐な解釈はしない。「無理に血縁関係を創造した家族はやはり家族にはなれないのではないか」、と思ってしまう。神に近い判断を求められた夫婦も悲劇だが、やはり人間は神ににはなれないのではないか、、。
と、初めて原作を読まないで伊坂を鑑賞したので、いつもとは違う自由な鑑賞眼でこの映画を見てしまいました。森淳一監督は『恋愛小説』、『Laundry〈ランドリー)』といい僕のお気に入りの監督です。久々に文学的でいながら、映像的にも均衡感と凛々しさの感じられる秀作を見た気がします。 見ごたえのある作品です。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。