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[コメント] 真救世主伝説 北斗の拳ZERO ケンシロウ伝(2008/日)

TV版、劇画版とは繋がりの希薄なストーリーでありながら、その底流にはどちらに対しても、の共感が脈打つ。現代社会との繋がりを無視していないのも嬉しい。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







正直、観客の少なさには予期していたとは言え落胆を禁じえない。池袋の独占先行上映館では、ほぼ一ヶ月前から上映されている『天元突破グレンラガン』が未だに立ち見の出る人気ぶりなのと対照的に、初日の翌日の日曜午後にもかかわらず、30名ほどの80年代からのファンと思しき男性客ばかりがこじんまりと納まっている閑古鳥の鳴き振りだ。やはり、パチスロ人気にあやかってのバブル現象に過ぎなかったのか。内容的には北斗ファンであったかつての少年のみならず、もっと多くの人に観て貰いたい出来栄えなのだが…。

内容的には、主人公ケンシロウの存在理由を明確に示した作品でありながら、なおかつ「弱さ、脆さを克服しつつも、なおも弱者にとっての救世主になりきれぬケンシロウ」を描く作品となっている。南斗の将と互角の腕を持つ男・ジュガイを倒せる腕を持ちながら、その詰めの甘さゆえに誰一人救えない北斗神拳伝承者を。そんなケンシロウを描く機会を原作者達が持ちながら、敢えてそれを2008年まで延ばしたのは『花の慶次』『蒼天の拳』を経た原哲夫の僚友にして初めて描きえた絶望から希望に至る物語であったからに他ならない。リュウケンが未熟にして人間的に過ぎるケンシロウの弱点を唱えつつも、そこへ「だが、それがいい」と『花の慶次』の名台詞をもって祝福するくだりには肌が粟立つ思いを覚える。そして「悪党と弱者」の単純な二元論に終始していた初期の『北斗の拳』へのアンチテーゼとして、複雑な人物像を覗かせる「悪党」描写には、作者達の成長が感じ取れる。浪花節に終始することはこの作品の欠点ではない。いみじくも原が武論尊に自作の原作者たることを望んだのは、「浪花節を書ける人」と認めたからなのだから。この作品は、図らずも原の作家生活を集約したものであるといっても過言には当たるまい。

あとは細かいことを。クリスタルキングの主題歌が第1作よりも重要に扱われることは嬉しかった。あのヴォーカルの高音が完膚なきまでに破壊されていることは、かえすがえすも残念であったが。そしてTVでの陰の主役とも言えた、千葉繁らザコ悪党声優の重用は、この映画シリーズを締めくくる一編のプレゼントとしては最高のものだと言えるだろう。思えば5部作のあいだに長い年月は流れ、自分の第一作への鑑賞のスタンスから意識は大きく変わった。ゆえに、第1作への要望とは相反する満足感を矛盾と断ずる気はない。今は作品制作に携わった多くのクリエイターへの感謝を捧げることで、この稿を締めくくりたい。有難うございました、皆さん。

(評価:★4)

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