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[コメント] 二十歳の原点(1973/日)

東京映画がものしたATGを越えるATG映画。時流に遅れてしまった者の意地という主題に麗しさがある。原作とは別物として捉えるべきで、散漫な日記を巧みに纏めて時代の典型としており、リストカットものの先駆でもある。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







68年、高野が成人式に出席せずに上洛してみると学園闘争は最盛期、1月18日の新聞に「紛争激化」と見出しが出ており、全共闘の試験延期の主張が語られる。学校は休校でみんな帰省したりして下宿屋は空っぽ。それから三カ月、休校はいつの間にか終わっており、大学へ行ってみると学園祭のようなお祭りで、1月には彼女を同志と呼んでいた同級生は(機動隊に追われた自分が小さな蟻に思えた、という告白を挟んで)サングラスにパンタロン姿。後半のバイト先のホテルの労組で参加するメーデーも、お祭り騒ぎだと高野は拒否している。

学生運動のリーダー、大門正明の渡辺に、雨中の演説中に傘差しかける勇気を出せたのに、彼等の輪に入る勇気はなかった。渡辺は映画に再登場しない。彼を追いかけるのか違うのか、彼女は退潮する学園闘争に参加する。タオルの上からヘルメット被り、内ゲバとも機動隊とも衝突し、頭に包帯を巻く。仲間は少人数だ。ホテルのアルバイトで主任の鈴木(地井武男)に惹かれ、しかしホテルのストには参加する。貧乏で大学に行けなかった地井は代わりにウエィトレスの仕事をする。

授業料滞納し、親の鈴木瑞穂が上洛して一泊、「お父さんに判るように説明してくれ」「それなら大学を辞めたらいいじゃないか」と問われ、説明しない。ここは映画の謎かけになっている。後の件で富川徹夫の中村に,みんなが授業料を未払いにすれば大学は解体されると作戦を伝えている。アルバイト労働者(学生ではなく)の自分に響いてこない教授の授業など意味がない。だから大学解体とナレーションがある。大学解体は学園紛争の主要テーマだった。いろんな感想のある処で、私など理念としての教養は資本主義とは別のところで確保されていなければならないとも思う。しかし映画の云うことも判ると思う。

中村にアパートに強引に入ってこられて「ひとりになるのも嫌」という展開、そして意見対立で彼からも無視されるに至る。モテない娘さんの寂しさという気がする。本作は振られ続けた女の物語でもある。角ゆり子は暗さを漂わせるいい造形だが、美人すぎたかも知れない。

印象的な自転車での転倒2回をはじめ、精神がゆっくり病んでいるように描写が積み重ねられる。人形つぶされた女の子と一緒に路上で泣き出してしまう件が印象的。終盤は有名な詩の引用、ブロバリン、不眠症に二錠、不審症には何錠。どうしてこの睡眠薬はちっとも効かないのかと貪り呑む。旅に出ようと樹海に入り、湖に沈む。最後に彼女は驚愕の表情を浮かべる。死を静かに受け入れたのだろうという日記の読後感とは感想を異にするものだが、ここに映画の主張はあり、それは妥当なものだと思わされた。

来歴は鈴木瑞穂の父に「心臓が弱くて運動部に入れなかったのに」と語られる。彼は娘に最後には「やりたいようにやれ」と云ってしまう。本作は実名での映画化で濡れ場まであるのだが、親御さんはこの発言の責任を最後まで取ったのだろう。高齢者が撮っているから同世代とセンスがズレている、みたいな批評を読んだがそんなことはない。主人公はある種のファザコンだったという背景が浮かび上がってきており、世代間の対話と断絶が色濃く時代を反映させている。

終盤にニルソンやCCRのジャケが飾られ、壁の腰から下を筵で覆われたロック喫茶らしい場所が映るが、あれはどこだったのだろう。音楽は四人囃子が参加。「二十歳の記念に眼鏡をかけよう」という有名なフレーズ、「はたちの」だと思っていたのだが映画では「にじゅっさいの」と読んでいた。これが正解ということもないのだろうけど。冒頭の新聞記事で、自殺は69年6月24日。場所は西ノ京平町の天神踏切西方20mと新聞記事が出てくる。西ノ京円町から南東、今は山陰本線は高架になり、踏切はない。旧立命館大学の正門映像も貴重。

(評価:★5)

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