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[コメント] 赤い文化住宅の初子(2007/日)

アン・シャーリーになれなかった女のコの「それ以前/それ以後」の想像力についてのおはなし。主演の東亜優ちゃんは「そういう人」にしか見えない。すごい。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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「赤毛」の少女と「赤い文化住宅」の少女が実に手際よく対比されていて、タナダユキの脚色力を感じる。とことんポジティブなアン・シャーリーを「あんなの妄想だ」と言い放つ初子はしかし、そんな幸せな妄想すらできないのだ。好きな男のコとの結婚生活を想像してみてもせいぜいオママゴトが精一杯なのに、自分が60分3000円の安フーゾクで働く姿は明確に思い描くことができるという不幸。「赤い文化住宅」の呪縛は少女の想像力を削ぎ、現実からの逃避さえ許さない。このふたつの想像シーンの格差は、ひとりの少女の逃れられない運命を描いて突出していたと思う。

 初子はその環境から脱却を望みながらも、その先に思いを馳せることができずにいた。彼氏に好き好き言われても、級友に玉子焼きを分けてもらっても、赤い文化住宅の少女は孤独だった。少女にとって赤い文化住宅こそがアイデンティティだったということで、だから父親が自宅に現れたとき、明確な拒否反応を示すことができなかった。それはつまり、父と兄と3人でこの文化住宅で暮らす生活は彼女の想像力の及ぶ範疇にあったということだ。映画はここでさらなる苛烈な環境に至る可能性を提示する。そして最も不幸な出来事によってその可能性を破棄する。物語は少女を、「赤い文化住宅」から強制的に脱却させるのだ。

 少女は「赤い文化住宅」を失うことで自己を見つめ直す機会を与えられ、未来へと背伸びして見せた。彼氏と添い遂げることは叶わないかもしれないが、彼女の心には新たな想像力が芽生え、「赤い文化住宅の初子」はようやく「宇野初子」になり、物語は役割を終えて幕を下ろす。たいへん心に染みるハッピーエンドだったように思う。

 東亜優ちゃんはもちろん、坂井真紀や江口のり子ら脇役陣の熱演も世界観の構築に大いに寄与していた。いい映画に出会えた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)おーい粗茶[*] 水那岐[*]

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