[コメント] マッチポイント(2005/英=米=ルクセンブルク)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ここで言う「飯」とは「女性」のこと。 アメリカを去ってもやっぱりセクシーなヤンキー娘が好きなのだ。イギリス女性はうざったいのだ。過去にも外国を舞台にした作品があるが、現地娘と恋したことは一度も無い。 ウディ・アレンほど(男性視点の)女性描写が巧みな作家はいない。 一見、アレンの中では特異な作品にも見えるが、男女間のもつれはいつものアレン節。 違いといえば、主人公がユダヤ人からアイルランド人に変わったくらい。
この映画のテーマは映画の冒頭で語っているので(この手法は最近多い)、表面上のウディ・アレンの主張を探る必要はない。 もう少し裏の部分、あるいはその真意について、少し考えてみたい。
9.11以降に制作した『僕のニューヨークライフ』『さよなら、さよならハリウッド』で、彼はアメリカから去る主人公を描いてきた。 おそらく、お気に入りの場所を中心にロケしたという『僕のニューヨークライフ』がニューヨーク派としての集大成だったのかもしれない。
その『僕のニューヨークライフ』(原題「Anything Else」)を、私はコメディーに見せかけた政治映画と言っているのだが、そこで彼はらしからぬ「自衛のために武装せよ」という暴力肯定ともとれる台詞を吐く。 この時は本心なのか皮肉なのか分かりにくい「ジョーク」なのだが、『マッチポイント』ではもう少しはっきりした物言いに変わる。 本作では「戦争」「犠牲者」という単語が唐突に発せられる。 それは誤った主張、もしくは言い逃れ的な言い方として用いられていることから、「皮肉」の部類に入る逆説的な台詞だろうと推測される。
では、誰に対する何の皮肉なのだろう? 整理するとこういうことになる。
9.11以降、「自衛のために武装する」「戦争に犠牲者は当然」という思想をウディ・アレンは否定する。 この2つの思想は、テロリストの思想ともとれるが、現アメリカ政府の思想とも言える。 そして彼はアメリカを去った。
それは、本作の後味の悪い「勝者」とオーバーラップする。 ニューヨークの悲劇で自身に害が及ばなかったことも、一つの「運」として。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。