[コメント] 美しい人(2005/米)
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この邦題、それなりに意味付けをしようとすれば出来るけど、やはりもう少し上手い付け方が無かったのかと思う。原題の「Nine Lives」、九つの命、という言葉は、最後の第九話で「ネコには九つのいのちがあるって、ほんとう?」という少女の問いかけとして示されていた。彼女がそう母親に問いかけたのは、墓参りに来て、墓石の上に猫を見つけたからだ。無数の墓石の他には、この母娘の二人きり。無数の命を想う、瞑想的なエピソード。
少女が樹の上に登って「向こうに青い服装の少女が見える」と告げる台詞は、第一話のヒロインであるサンドラが来ていた囚人服を示唆していたのだろうか。「私は夢と骨で出来ているの」、「喉が渇いた」、「ママは疲れたわ」等の台詞が、異なるエピソードで反復され、第八話のカミールの病室にやって来る黒人の看護婦は、第三話のホリーを思わせ、第九話のマギーの娘は、第五話のサマンサの幼年時代かと思わせる容貌、第七話のルースが電話で話す娘の名もサマンサで、ルースが男と泊まるモーテルの別室から連行された女はサンドラかと想像させる、等の、それこそ「九つの命」を往き来するかのように微妙に絡み合う、女たちの人生の断片。
この、関わりが無いようで有り、有るようで無い、という形での、複数のエピソードの提示というスタイルは、この作品の他にも幾つか類例のある。この形式の利点は、個々の人生の断片を、個々人の単独性を保ったままで、微かな他者との関係性や普遍性を垣間見せるのに適当であるという事。
それに加えて本作が印象的なのは、ホリーと父との間に何が起こったのか、という過去や、ローナが元夫の親族から恨まれている様子なのは何故なのか、という理由など、肝心な所が観客に付されている場合が多い点。この、彼女ら自身にとっては核となる個人的なエピソードが語られずにいる事で、彼女らの一挙手一投足の意味する所が、最大限の解釈の幅を得る。つまりは、断片性を強める事で、普遍性を高めるという、何とも逆説的なその手法は、明瞭な「物語」を求める観客には不満を残すものではあるだろうけれど、僕にはなかなか面白い試みに思えた。
また、過去が伏されているのと同様に、未来もまた伏されている。ダイアナがかつての恋人の姿を求めてスーパーの外に出た場面でエピソードが閉じられた時、僕らにはここで二人の関係性が断ち切られたのか、あるいは新たにここから何かが開始されるのかが分からない。父親の顔を見るや否や銃を咥えたホリーは、その後どうしたのか。サマンサは進学をどうしようとしているのか。「物語」として閉じない事で、観客に、手応えのある疑問符を手渡して残すという監督の意図は、明確であるように思う。
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