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[コメント] 夏の嵐(1954/伊)

暑苦しいまでの極彩色と、激しくも空虚な熱情。徹底的に背を向けるその背後から圧し掛かる、政治/歴史/社会。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







兵役を逃れる為の偽造診断書を手に入れるのに要る金をリヴィアから受けとったフランツが、彼女に「僕を愛しても不幸になるだけだ」と訴えかける言葉。観客の側からすれば、明らかにフランツは金を目的としてリヴィアを騙しているのだが、実際に金を手にしたフランツがリヴィアを哀れむ、その台詞と表情には真情が込められていたように感じられた。

だからこそ、いざ兵役を逃れてみると、その事への自責の念で堕落していくフランツの姿は、リヴィアへの、幾らかは真実であった愛や、狡猾さの下にもやはり残されていた誠実さの、裏返しに思えるのだ。だがリヴィアには、その逆説的な形で表れた彼の真情までは見通せず、彼の裏切りと卑劣さに対して、同じものを返す。

フランツの密告で流刑にされていたウッソーニ。ウッソーニを救う為にはフランツの助力が必要なのだ、と自分に言い聞かせて彼の許を訪れたリヴィア。リヴィアの密告によって最後は銃殺されるフランツ。フランツによって娼婦と同席させられ、夜の街を、「フランツ、フランツ」と叫びながら彷徨う事になるリヴィア。共に国を見棄てた男女が、行き場を失い、男は肉体を滅ぼされ、女は精神を滅ぼされる。

二人は、国家間の争いを介して結びつき(ウッソーニの流刑)、国家への裏切りという形で、その愛の激しさを証明し(イタリア解放の為の義援金を、フランツの診断書の為に渡してしまうリヴィア)、国家を介してその関係に幕を下ろす(密告と、それに次いで行われる処刑)。個人としての熱情に身を焦がしているかに見えながら、国家や歴史に対して背を向ける、という形でしかそれが表現できないからこその、断絶と終焉。

(評価:★3)

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