[コメント] 復讐者に憐れみを(2002/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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冒頭の岩場で遊ぶ姉弟を真上から撮った画面で、この監督が絵作りに凝るタイプであることは予測できたが、それが映画として機能しているところもあればただの映像美もあるという感じがする。かっこいい絵を撮りたい>ストーリーテーラーなのかも知れない。そういう人はストーリーの都合上、あまり描きたくない絵を描くのが苦痛だから、ついそういう場面でも絵で遊ぼうとしてしまうのだろう。主人公が工場を解雇されるシーンでの一連のアングルなんかたぶんそうだと思う。私はマンガを描いていたこともあるので、ああこの会話ばっかりの場面、描きたくねえ〜と、そういう心理にとても共感を覚える。それで監督の理想は、ムダ絵がなく「良いカット」だけで繋がれている映画にあるように思う。
ポン・ジュノ監督がインタビューで、自分はストーリー重視だからシナリオはきっちり自分で描くが、映像とストーリーを分けて考えるのは嫌で、映像にストーリーを語らせたい、語らせるべきで、それがうまくいってシナリオがそこで消滅するのが理想だ、というような主旨のことを言っていたが凄く同感する。映画は映像とストーリー(シナリオもしくはテキスト)が相互にうまく混じりあって、ある種どっちかの欠落が生まれているバランスのほうがなんとなく「いい映画」というか「映画としていい」と感じる。山田太一のドラマで、たまに脚本が強すぎて脚本を活字で読めば済んじゃうような作品があったりする。シナリオがすべて語ってしまうと、役者の演技、美術や照明といったものの醸すニュアンスが入り込む余地がなくなるからだろう。時に台詞を排除し、一枚の絵で内容を語ってしまうような場面の多くある作品が、映画作品としてはいいような気がする。
で、本作でいうと、まだ映画を作り始めだからなのであろうが、絵が雄弁にストーリーを語っている場面と、ちょいちょいただ格好いいからという理由の絵作りとがあり、それがはなにつく印象だった。例えば、終盤の敵討ちのシーンで、水面に反射しているソン・ガンホの像が吸殻を放り投げると、いったん画面から消えた吸殻が実像として画面の外から出現し、ソン・ガンホの映っている水面の像の上を横切って流れていくカットがあるのだが、それが何かの物語を語っているというわけでもなく、ただスタイリッシュな映像だからという印象しか受けない。強いて言えば虚無感を感じなくもないが、虚無感ならもっと他に描きようがあると思う。また、ソン・ガンホが主人公を川の深みに抱え込んで歩く場面も、横からのカットに加え、わざわざ真上からのカットも加えているのも、ただ絵的にいいからという同様の意図を感じる。これが主人公が姉の死体の上に石を積んでいくところを真上から撮るのは、冒頭の岩場で遊ぶ姉弟のカットとの対比というストーリー上の意図につながるのだが。ソン・ガンホの家のリビングで、刑事課長が捜査上の秘密を話にくる場面も、広角で凝った映像がむしろ邪魔で、この場合俳優の表情のほうをより強調し、刑事が買収されたというストーリーにより寄り添うほうがいいように思った。
反面で、「良いカット」だけで繋ぐという意図が、説明シーンの欠落を生じさせ、特長のある心地よいリズムを生み出していて、それがストーリー上から必須かどうかという以前に、映画として心地よいという場面が多々あり、そういうところがこの作品の魅力であることは間違いがない。それじゃあ、それは監督の文体のタイプなんだから、これまでクドクド書いていたことなんか意味ないじゃん、てことになるわけで、確かにそうなのだが、個人的にいろいろ気づくことがあったので、1回まとめておこう、とこういう次第になったわけです。監督の他の作品は『オールド・ボーイ』しか知らないけど、そっちは本作よりもストーリーよりの映像になっているように思った。
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