[コメント] エル・スール −南−(1983/スペイン=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画に関して全く文句はありません。大好きです。光と影の使い方は完璧とも思えるし、それぞれのシーンの緊迫感も半端ない(なんせ、子供がベットの下に隠れてるだけの画像を飽きもせず5分以上も見続けてるんだから)。
でもさ、やっぱり『ミツバチ』の亡霊(精霊?)に惑わされちゃうんだ。『ミツバチ』は色んな見方があるけど幻想的で寓話的な映画だ。スペイン内戦後とか家族のすれ違いとか映画内で上映される白黒映画とか、いちいち論うまでも無く二つの映画に共通点は多い。おまけに日本での公開はほぼ同時期だった。『エル・スール』にも家族の寓話的な視点をどうしても持ち込んでしまう。
でも『エル・スール』の原作には後半がある。映画ではプロデューサーの意向で後半がバッサリカットされたのは有名な話しだ。後半の南国編には具体的なエピソードが盛り込まれていたに違いなく、そうなると映画全体の印象もガラリと変わるはず。
もちろん、エリセが原作通り撮ったかは判らないし、後半がカットされた時点で別の作品として再構成されている事は百も承知で、やっぱり気になるので原作読んでみました。登場人物の名前や職業が変わっていたり、セビージャのおばあさんが前半途中で亡くなってたりと細かな設定は異なりますが、大筋は一緒と見なして、以下南国セビージャ編レビューです。
アドリアナ(エストレーリャ)は父ラファエル(アグスティン)が生まれ育ったセビージャの家で数日を過ごすうちに、形見の本に隠されていたグロリア・バリェ(イレーネ)の手紙を見つける。父とグロリアの手紙のやり取りは続いていたのだ。 手紙からは、父がバリェに「二人でやり直そう(家族は捨てる)。」と持ちかけたことや、バリェが「息子と幸せに暮らしていてあなたの入る余地はない。それにもうあなたを愛していない。」と拒絶した事が読み取れた。 アドリアナは手紙の住所をたどり、少年と出会う。少年の名はミゲル。ひとつ年下だが背が高く、落ち着いた口調で年上に見える。しかし、彼の仕草や微笑みに父ラファエルの面影を見つけるのだった。 その後ミゲルは何度もアドリアナと邂逅し、母親バリェも紹介する。母親はアドリアナの名前を聞くとラファエルの事を尋る。アドリアナの回答は素っ気ない。「父は元気です。」「いっしょにいらしたの?」「いいえ。」 ミゲルは「自分の父親は自分が生まれる前に死んだ。」と信じている。 アドリアナはミゲルの日記を盗み見る。そこにはミゲルがアドリアナに愛情(もしくは愛情を超えた何か特別な感情)を抱いていることが書かれていた。 アドリアナは何も明かさず立ち去る事を決めた。日記の最後に「私もあなたを愛しているわ」と書き足して。
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