[コメント] さすらい(1957/伊)
本作のアントニオーニはとても分かりやすい。分かりやすいというのは、映画の物語を紡ぐ(プロット展開)上での経済性のことを云っていて、例えば主人公を中心とする登場人物の感情(と行動)が見て取れるように分かりやすい、と云っているのではない。
人によって「感情移入」という言葉を使われる方がおられるが(ちなみに、私は「感情移入できない」などという云い回しは使ったことがない。そういう映画の見方をしない)、本作のスティーヴ・コクランにしても、アリダ・ヴァリにしても、感情の変転の共感性は低く、決して分かりやすいとは云えないかもしれません。しかし、プロット展開の無駄の無さ、ということでは、本作もネオリアリズモに連なっている感覚を受ける。
また、本作もミケランジェロ・アントニオーニらしく広い視野の場面が特徴的な映画であり、視覚的な快さも際立っている。奥行きのある画面は、畑や原っぱや工場の敷地、あるいは、土手や堤といった水辺の風景で顕著だが、屋内から窓越し、ドア越しに戸外の風景を見せる縦構図や、建物の中の通路を使って、ロングショット、フルショット、バストショットを端正に繋ぐカッティングにもしびれる。エンディングの工場の塔を使った、高低を活かした仰角俯瞰の画面設計と、被写体を突き放す厳しさも、好みということでは極めて私の好みだ。世界を震撼させた、という映画史的な意味合いでは、後の代表作が取り沙汰されてしかるべきだが、本作のクラシカルな完成度にも感服する。正真正銘の傑作だ。
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