[コメント] あゝ声なき友(1972/日)
渥美清が突きつけられた現実。それは、お国のためであろうがなかろうが、死は、決定的に生と断絶しているということだったように思う。
しかし、記憶の中でのみ、人は生き続ける。だとするなら、弔うとは、記憶を形に表し、行為に移すことではないか。渥美清のしたことは、やはり最善の弔いだったと考えたい。
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