[コメント] 花とアリス(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
役者について。
演技には、攻めの演技と、受けの演技があるとよく言われる。すると鈴木は攻めに適したタイプ、蒼井は受けに適したタイプだと言える。つまり、自分から芝居をひっぱるタイプと 相手に応じるときに自然にその場を浮き立たせるタイプ。どちらが得手かは意外と分かれる。 例えば、窪塚は攻めで際だった個性が出るけど、多分受けの演技ではさほど光るものはない。
二人の個性は物語のなかで、巧く活かされている。濃密な場面は当然蒼井が引き受けている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
個人的体験から・・・
女の子と話す機会があったとき、彼女の意識がどこにあるのか、 とまどう、という体験があった。みんなあると思う。 そこに彼女がいて僕を見る。でも見ているのは僕でありながら、 彼女の表情(笑ったり、怒っていたり)は何か別のものを見ている。 人間の眼差しは、その場、その場でいろんな記憶を孕みつつ、あるいは何か 未来への物語(ひどいのもある・・・)をも孕みながら、見ている。
記憶を無くした(というか本当に存在し無い記憶を求める)少年(マー君)は、確かに本作の 中心にはいない。だが、テーマには深くかかわっている。 アリスは少年のために、「記憶」を創造しなければならない。
記憶の創造なんて不可能だから、アリスはたぶん無意識的に 父親と過ごした日々の記憶を捜すことになる。(海の家、心太、玩具の馬、トランプ・・・) アリスのマー君を見る眼差しは、実は過去の日々を背負った眼差しでもあることを 理解しなければならない。そしてそのなかで芽生えてきた愛情(もちろん今の彼女自身の姿)もやがて断ち切らなければならないことも漠然と意識しつつ、見ているのである。
断ち切るといっても、まったく無に帰すことではもちろんなく、むしろ距離を置くということ、そのための契機を得るということだ。
実はその背後には「成長」という深いテーマが隠れてもいる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ハートのエースのトランプに、アリスが「見た」ものは何か? 揺れ動くトランプの図柄を見て、彼女は少女時代のトランプと同じ図柄を 認めたはずである。だが、それが少女時代に失ったトランプと同じトランプ であるかどうかはさほど重要ではない。そうではなく彼女がそのうちに「見た」 ものが何か、が問題である。 そのトランプを、マー君に与えてしまった理由も、 さらにアリスがバレエを踊る場面が持つ意味も、それで見えるように思う。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
表情のもつ力というのは凄いということをあらためて感じた作品だった。 実は、最初の「ハンニバル」のシーンから蒼井の表情は雄弁に記憶の作用を物語っている のである。
久しぶりに会ったアリスと父親の場面。最初はぎこちなかった二人が次第に自然と 本来の親子の表情になっていく。ここはこの作品のもっとも感動的な場面の一つ だった。平泉成と蒼井優の二人の顔の表情は、何かを一緒に体験してきた 本当の親子のように見えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
刹那の輝き。それを際だたせる演出とアイデア。 この作品は、多くの人が指摘するような冗長なものでも、まとまりのないものでも ないだろう。また作品が、私たちの実生活から決して乖離していないから、 ひとりよがりという批判も不当だと思う。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (5 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。