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[コメント] グッバイ、レーニン!(2003/独)

家族を優しく看取ること。4.0点。
死ぬまでシネマ

あの頃の事を思い出す。連日国境に押し寄せていた難民に対し、ハンガリーがついに国境の開放を宣言する。続いてチェコスロバキアが。日本にいるぼくは何事かが起きている事を察してはいたが、それがなんなのかが解らず、激動の秋を呆然と見つめていたような気がする。そして、11月9日。…

この映画は「現代のお伽噺」である。淡白な語り口や思想的な詰めの甘さを非難するのは少々手キビし過ぎると思う。ひとつの映画に何でもかんでも求め過ぎない事だ。しかし、この映画は表面的な印象とは裏腹に非常に多くの事を物語っている。この多面性と奥行きは感嘆に値する。それは分裂国家という場所で、国家統一という激動を味わった者ならではの語り口なのだろう。

その内のひとつの見方として、理性的な存在である人間の優しさ、というテーマを感じた。心臓発作で倒れた母はドイツがまだ単一国家(第三帝国)だった頃を知っている。その後、東独と共に人生を歩んできた。東独の矛盾や偏狭を肌で感じていながらも、それを捨てる事が出来なかった。驚くべき事は、その母が恐らく憎んでも我が子のように愛おしんでいたであろうその国家の消滅を、希望とともに受け入れてこの世を去ってゆく事である。この映画は、憎しみによって東独を葬るのでなく、社会主義の理想という多くの人を巻き込んだ人類のひとつの実験の終焉を、感慨と優しさを以て看取ろうとするのである。そしてドイツ国民はこの映画を受け入れた。

ハンガリー国境の開放から始まってソ連の消滅まで、東側諸国では「一旦始めた戦争を自ら終わらせる」という非常に難しい作業を、国家指導者から国民一人一人までが心の外と内の両面で行なっていったのだ。幾つもの衝突はありながらも、概ねそれは流血を見ないで済んだ。これは日本人のぼくにとっては非常に驚くべき事だ。ぼくらは彼らと同じように過去の遺物に引導を渡すことが出来ていない。そればかりか、理性と優しさの双方においてどんどん失なわれていっているような気がしてならない。

本来ノンポリな池畑慎之介が主人公だからこそ、母親を優しく看取る事が出来たというのも、何だか悲しい教訓である。

(評価:★4)

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