[コメント] ギターはもう聞こえない(1991/仏)
全編に亘って、なぜか暗転(フェード・アウト)がとてもぎこちない。これもワザとなのだろう。前半4人の男女が登場し、誰が主人公なのだろうと思いながら見る(誰が主人公でも構わないのだが)。
ブノワ・レジャン(ジェラール)とヨハンナ・テア・ステーゲ(マリアンヌ)。ステーゲは仏語が得意でない。ドイツの人なのか。もう一組のカップルは、ミレーユ・ペリエ(ローラ)と左目が陥没した画家のヤン・コレット(マルタン)。この4人の中で、徐々に、主人公はレジャン(ジェラール)だと分かって来る。
後半、ステーゲがドイツへ行くことになり、入れ代わるように、ブリジット・シィが登場する。この交代劇はかなり唐突で、バスタブでレジャンが泣いている場面から部屋にマットを敷き、無言で同衾する場面までは異様な緊張感だ。意味不明でも、理屈が分からなくとも、強い画があれば良い、ということの証明と云えるだろう。尚、本作のシィは、横臥した状態だが、乳房が映っているカットがある。
数年後、ステーゲが訪ねて来きて、レジャンが呼び出された向かいのカフェのシーンも、奥行きのある空間の見せ方と色遣いが素晴らしい。そして、エンディング。レジャンがドアを閉めて出ていくカットで暗転。これは強い終わり方だ。ほとんど完璧。
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