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[コメント] 噂の娘(1935/日)

正真正銘の傑作。なんて濃密な面白さ。55分の尺だが、2時間の作品と同等、いやそれ以上の演出の密度を感じる。
ゑぎ

 それは全編に亘る、フレームへの人物の出し入れ(しゃがんだり、立たせたりといった所作の演出を含む)、視線の変化による画面外の示唆、それに整合する的確なカッティング、そして、流れるようなプロット運び(例えば、会話の対象になっている人物が次の場面で描かれるといった構成)と意外性のあるシーンを繋ぐバランスの妙、といったことに拠っているだろう。これら成瀬演出のきめ細かさは、比類ないものだと思う。

 繰り返すがその素晴らしさは全編に亘るのだが、いくつか特筆すべき部分をあげたい。序盤で顕著な場面としては、夜、長女の千葉早智子が店(酒店)の帳場で丁稚に算盤の入れ方を教えているところに、遊び歩いていた次女−梅園龍子が帰って来る、続いて飲み屋から祖父−汐見洋が、付け馬を連れて帰宅し、ごたごたしている中、父の御橋公が愛人宅から帰宅する、といった家族の出入りを逐次(と云っても重複させながら)展開する面白さがあげられよう。

 中盤だと、千葉が劇場(歌舞伎座?)で金持ちの息子−大川平八郎と見合いをするシーン(妹の梅園がふざけて滅茶苦茶にする)に続く、鉄橋を歩く千葉、梅園、叔父の藤原釜足の場面。こゝの視線の演出や、イマジナリーラインを無視した切り返しをバンバン繋ぐカッティング。あるいは、千葉が父の愛人−伊藤智子を訪ねたシーンに続けて、銀座あたりで梅園と大川が出会う場面、藤原が御橋の店を訪ねる場面、千葉が帰宅途中に祖父−汐見と出くわして会話する場面、梅園が道で叔父の藤原を見つけ、お小遣いをねだる場面と、主要人物たちを2人ずつにして連続して見せるプロット運びの小気味良さには舌を巻く。

 そして後半「セントルイス・ブルース」が流れる雨の場面辺りからエンディングまでの畳みかけはもう圧巻と云う他ない。特に、千葉がポンポン船に乗っている際に、彼女の上方を見る視線に合わせて、橋(清洲橋)の上にいる人物を繋ぐ演出と、この後、千葉と梅園の会話シーンで見せる、人物を横臥させたり、立たせたり、振返えらせたりといった所作をつけながら、自由自在にフレームに出入りさせるテクニックには唖然となってしまうし、最終盤のカタストロフの造型も、同じく恐るべき緻密なカット繋ぎだろう。ただし、この頃の成瀬の(いや成瀬だけでなく、この頃の多くの映画で見られる)演出として、人物の心情を強調するようなドリー前進移動やトラックバックを使ったショットだけは、私は今見ると大仰に感じて違和感を覚える。あるいは、心理を表象させようとし過ぎているというか。といったことはあるけれど、いやそれにしても、開巻とエンディングを床屋の会話(噂話)で構成するというのも、メインのプロット、メインの人物を最大限に突き放し客観化するもので、このエンディングも無茶苦茶カッコいいと思う。

#備忘でその他の配役などを記述します。

・床屋の主人は三島雅夫。ラストに会話する客は滝沢修

・酒屋の丁稚は少年時代の大村千吉。女衆で林喜美子がワンシーンのみの出番。

(評価:★4)

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