[コメント] ガラスのうさぎ(1979/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ときは戦前。兄妹五人。近所の悪ガキは空軍志望で「目を瞑って10回回って真っすぐ歩けないと駄目」と云われて試みて失敗するギャグがある。この子の父親はヤミで魚売りして捕まっている。兄妹の母の長山藍子はお蔭で助かったと配給の籤引きで当たった新品のシャツを悪ガキに上げてしまい、娘は兄のお下がり。胸にアップリケと縫いつけてクラスでウケるも、担任から華美と怒られ切り取らされる。
蛯名は二宮(神奈川県)へ縁故疎開。娘の学校では縁故のない者は集団疎開で校庭から出発している。こんな区分があったのだ。縁故は荒木道子のお婆さんと目色ともゑの奧さん。女子高の試験勉強をしている。3月10日のラジオを聞いて不安に思って駅に行くと、ボロボロになった人たちが疲れ切って改札を次々と通る、という印象深いシーンがある。娘が尋ねると「両国辺りは全滅じゃろ」。そしてボロボロになった長門が疎開先に来る。東京に連れて行けとすがる娘を長門は断る。「子供に見せる有様じゃないんだよ東京は」。突然の怒声に、黒焦げの遺体の連なるショットが続く。この子供の頃の体験、遠くてよく判らない悲劇の感触を、この娘は一生引き摺っただろう。
合格発表のあと、父と二人で東京へ行く。自分の家は金庫だけが焼け残っている。掘り返すとガラス職人の父がつくってくれたガラスのうさぎ、それから母たちの茶碗が出てきたのでこれをお骨の代わりに墓へ埋める。近所のお姉さんの空襲の回想、防空壕の入口に人が立ってここは持たんから逃げろと云われて飛び出ると一面火の海でどうしようもない。何のための防空壕、バケツリレーの練習と同じだったのだ。この件も恐ろしいものがある。
長門は新潟でガラス工場の準備をしており、目鼻が立ったので娘を迎えに来て、二宮の駅で空襲にあって死んでしまう。東京大空襲の映画なのに田舎の駅で死ぬのに意外性がある。ジェット機が駅舎の屋根瓦を吹き飛ばす怪獣映画のようなショットがある。娘はこの年で喪主になる。目色の家で葬式、斎場に薪を大八車一杯持ってこないと焼けないと云われ(!)、友達の恩情に縋り、斎場では藤原釜足が「骨壺がないので都合してくれ」と云い、死因の銃弾渡してくれる。天皇の放送をもっと早く終わっていればと思いながら聞く。卒塔婆には「戦災横死」と書かれている。
焼け跡で過ごしていたら次兄が戻り、父さんの遺志を継いでガラス工場再建の相談、当てにしていた父の鞄の債権などは敗戦で紙屑(新潟の準備がどうなったのか情報がなかったのだが、これも敗戦で駄目になったのだろう)、娘はお金が溜まるまでもう一度疎開と云われて、二宮には事情があるのか戻れず福島は郡山、居候させてもらっている三崎千恵子と同居。彼女は厳しく、山羊の世話や川からの水汲みを命じられて苦労し、女学校にも転入させてくれないのでついに「家出」する。
山の中で出会う女の子がとても印象的。水汲みが下手糞で蛯名は笑われるのだが、彼女が失敗して、蛯名が笑うと、彼女も笑って寄って来る。この機微がとても優れている。彼女の笑いは冷笑ではなくて、友達が欲しかったのだった。彼女の登場が短くてとても残念だった。原作ではもっと長く付き合わせてくれるのだろう。
東京に辿り着く(途中、汽車に乗っていたら止まって「この列車は当駅停まりになりました」とアナウンスがあって、乗客全員あ〜あと云いながらぞろぞろ下車するという件がある。当時はよくあることで、彼等は慣れているのだろう)。長兄大和田獏も戻っていて兄妹三人、次兄佐久田修の建てた家(ちょっと新し過ぎる美術だが)に住まう。長兄は酔って、死ぬことばかり教えられた、いまさら生きられるか荒れて去ってゆく。序盤で登場した近所の少年が米兵の靴磨きしている。蛯名は工場勤めを始める。進行形で映画は終わる。続編が予定されたのだろうか。しかしこれもいい終わり方だったと思う。
タイトルはガラス職人の父が製作した、東京大空襲で半分溶けてしまったガラスのうさぎの玩具。この冒頭のガラス工場の様子は面白い。色んな型枠があるものだ。疎開先で娘三人の入浴シーンがあり、蛯名の胸チラがあるのは70年代には頻出するものだがいかにも余計。OPに国債児童年企画とある。
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