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[コメント] わが青春のアルカディア(1982/日)

一時代を築いた「松本ロマン」の終焉に立ち会う
ペンクロフ

グダグダの脚本と演出により、ずいぶん間延びした甘ったるい映画になってしまった。

もともと松本零士の世界とは、半径5メートルの小さな世界を宇宙規模にスケールアップし、刹那の感傷で死生観や人類史を語るという、有り体に言ってしまえば「ひとりよがりの美学」によって支えられている。その最高の成功例が劇場版『銀河鉄道999』で、あの映画ではひとりの少年の成長のためだけに幾多の人々が死に、惑星が崩壊し、列車は銀河を横断する。あらゆる御都合主義は、少年の青春を描くためだけにあった。だから傑作となり得たのである。

わが青春のアルカディア』は、最初から半径5メートルをはみ出ている。描くモチーフへの照準を失ったまま、いつもの調子で闇雲に拡大された松本宇宙。それはどこか空虚で薄っぺらく、何より我々観客にとって不可解なものだ。そもそも松本零士の大ロマン文体によるモノローグやナレーション、説明無用とばかりに無条件に熱く感傷的なキャラクターたちは、いきなり見せられてもギョッとする類いのものだ。それをすんなりと受け入れてもらうためには、理屈抜きで情感に身を任せロマンに感涙する「松本モード」に観客を誘導しなければならないのだ。この映画は、そこのところで完全に失敗している。

ハーロックが恋人マーヤに会うために片目を失い、なお恋人に近づくために敵の射程内に身を晒すか、どうするかという場面なんかドリフのコントみたいだ。恋人に会うことの切実さ、彼女への思い、敵の銃撃の恐ろしさが一切描写されていないから、ハーロックの行動は不可解としか思えず、思い入れたっぷりのモノローグも陳腐に聞こえてしまうのである。観客は映画についていけないまま、銀幕で松本ロマンが寒々しくただ滑ってゆくのを眺めるだけである。

日本中を席巻した松本零士アニメブームは、この映画直後のテレビシリーズ「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」で終焉を迎える。松本ロマンが天下を取った時代があったなんて、今考えると夢のようだ。少なくともこの作品では小松原一男の作画による、死ぬほどカッコいいハーロックが山ほど見られる。それだけでも眼福とすべきであろう。ありがたや、ありがたや。

(評価:★2)

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