[コメント] 労働者たち、農民たち(2000/仏=伊)
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本作からコスプレは捨てられ普段着での出演になる。現場主義は継続されている。
3対3の農民対労働者の論争から始まる。農民は働き通しで冬は休むのだとか、労働者は冬も働くとか、薪がもったいないから仕事して温まれとか、ポレンタひと皿の食事、山羊殺しに労働者が反対したとか、山羊の乳を水で薄めたとか、乳は子供専用だとか病人にも与えるべきだという喧嘩とか、トーマ医師が自説を曲げたとか、屋根作りで凍り付いたとか。
この対立が激化するとか解消されるとかが劇的に語られるのだろう、という観客の予想は全く無視される。ただ春が来て、いつの間にか対立は雪解けを迎える。逃亡と帰還が語られる。せせらぎの音(正にストローブ=ユイレらしい)が聞こえて水車が回り始め、奇跡のように電灯がともる。
ここに映画は大切なものを主張していると思われる。それは「存在は意識を規定する」ということだろう。農民対労働者の対立は、雪が止み電気が来て春が来れば解消されるのだ。
ここで7人目以降の登場人物が現れる。しかも斜めアングル。隣で「イバラ」と呼ばれる逃亡者が本作唯一のアクションである地団駄を踏む。彼は盗んだラバを売って現金化してそれを上着に縫い込んでいて、町長の「口笛」に免許証と一緒に発見される。彼はガソリンを買い、トラック運送が再開される。月桂樹の植林が企画される。このエピソードが『放蕩息子の帰還』で、自作ではこのイバラ関連の部分だけが抜粋される。
序盤の農民対労働者の3対3は歯抜けになる。よい協調をもたらすためには率先して働くことだと語られる。うまいリコッタの作り方の情報が交換される。そして恋が語られ始める。気を引くふりをして女を怒らせたかった云々。三角関係が生じる。パノラマパン、山の向こうに見える紫と水色の層は山だろうか海だろうか。
本作の朗読は固有名詞が連発されるが、それが誰のことか明瞭ではないが、何となく判ってくる。この謎々に妙味があった。「不細工」「口笛」「赤マント」等。背景のピンが、朗読者を引いて撮るときはあっているのだが、バストショットになると緩くなる。
本作は『シチリア!』のヴィットリーニ原作の長編小説「メッシーナの女たち」44〜47章の映画化。1945年7月から翌年6月(イタリア共和国成立)まで、ドイツ軍が築いた地雷源に囲まれて放棄された山村での、国内難民の生活を描く。北イタリアの終戦は遅れていた。
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