[コメント] 女の勲章(1961/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
先ごろ日経新聞の「私の履歴書」に芦田淳先生の連載があって、中でも美智子妃殿下(現皇后)のデザイナーとして活躍されたときのことが最も生き生きと描かれていて、とても感動したんですね。
それまでの数々の苦悩、大勢の兄弟の末っ子として育てられ、両親をなくされてからの苦労があってこそ、サクセスストーリーとして美しく表現されていましたね。とても素晴らしいお話でした。
さて、本作山崎豊子先生の原作によるものです。
このたび『沈まぬ太陽』が映画化されることで、山崎先生の作品が再び注目を浴びていますが、この『女の勲章』も初期の作品として、デザイナーとしての企業の内部を深く鋭くえぐるような作品となっています。
しかし、この映画が最も魅力的なのは、やはり吉村公三郎監督による手腕が全てだと思います。映画として芸術の領域に至らしめているのは、正に監督の手腕です。
お話の筋は確かに面白いですし、関西を舞台とする台詞の行き来も楽しめます。そして山崎豊子作品らしい、絶頂と転落のコントラスト。幸せと不幸が重なり合う、その生き生きとして物悲しい女性の生き様が上手に表現されています。
そこに吉村公三郎監督は見事に暗くて静かで、かなり恐ろしげなモードをかぶせ、それは「怪談」とも思える映像表現で、女性の悲しさ、男の貪欲さの浅はかさを描いています。
この映像の美しさ。照明、セットの美しさは、現代の映画技術ではとても表現できない、かつて日本映画が誇った最高の技術を駆使しています。
暗い部屋で映し出される女性の視線にピンポイントでライトを当てる技法。長い廊下を女性たちが走り去るシルエット、そしてラストシーン、主人公の式子(京マチ子)が亡くなって、それを背中で悲しみ喪失感を味わう銀四郎(田宮二郎)が画面の片隅で立ちずさみ、その反対側の画面の廊下が遠く閉ざされた霊安室で、そこにエンドタイトルが塞がるように重なります。
この表現力は今の日本映画ではなし得ないものでしょう。
ベルイマンやヴィスコンティ、ウッディ・アレンですらこのような表現はできません。
この深く濃い映像力は吉村監督ならではのもの。その美しさに目が離せませんでした。
脚本を新藤兼人が担当されているのも注目ですね。良く構成されています。
2009/10/15
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