[コメント] シャンハイ・ナイト(2003/米=英=チェコ)
「ジャッキー・チェンの映画」には「ジャッキー・チェンの映画」でしか観られない映画的興奮があるのだと。
映画の申し子たるジャッキー・チェンへの敬愛を込めた様々な映画史的遊び。しかしそれははっきり言って『レオン』の「モノマネごっこ」程度のお粗末なものだ。アーサー・コナン・ドイルにしても切り裂きジャックにしても、どうせ遊ぶならもっと本格的に遊べばいい。(ただジャッキー扮する「チァン・ウェン=ジョン・ウェイン」に向かって「映画ってやつに出てあんたのカンフーを披露してみないか?」なんていう件にはジーンときてしまったけれど。だからこそ、"あの人"と「共演」させるのならもっと本気でやってほしかったのだ!)
またせっかく「殺された父の仇討ち」という設定があるにも関わらず『香港国際警察』や『酔拳2』などで観られたあの怒りや悔しさのほとばしる様が観られないことも物足りないことこの上ない。(物足りないと言えば、ドニー・イェンとの対決ももっとしつこいぐらい観られるものと思っていたのに…)
なんだかもろ「ジャッキーおたく」って感じでクドいのでこのへんにしておくが、要するにこれはまあ「ぬるい映画」だ。そして「製作総指揮」であるジャッキー・チェンはその責任を免れるものではない。
それでもこの映画を「ジャッキー・チェンの映画だから」映画館まで観に行って、ぬるい映画だと認めながらも「おもしろい」と思うのは、誓って贔屓の引き倒しなどではなくて、ジャッキー・チェンという唯一無二のアクション・スターにしか演れないアクションの醍醐味ゆえなのだ。
ジャッキー・チェンの映画は、「そこにあるもの全てを駆使し、動きを緻密に計算して作り上げる、コミカルでスピーディでリズミカルで創造的で、誰もがまねをしたいと思うが誰にもまねの出来ないオリジナルなアクション」に満ちており、この映画もまた例外ではない。
「なにを今更そんなこと」と言われるのを承知で敢えて言い立てるのは、これだけぬるい映画ですらそうした映画的興奮に満ちており、そしてそれは「ジャッキー・チェンの映画」でしか観られない、唯一無二のものなのだということを、この映画で逆説的に確信したからだ。
確かにジャッキー・チェンも歳を取り、身体も衰えた。それでも、今現在、世界中を見回してもこんなことのできる役者は他にひとりとしていないのだ。
ただ、セルフ・パロディはもういい。「父の仇を討つ息子」の役ももういい。そう思うと『奇蹟』がいかに優れた映画であったかということに、ふと気付かされたような…(それはまた別の話)
(それにしても…ハリウッドの「娯楽映画を作るシステム」はこうも落ちぶれたのかと思うのは見当はずれ且つ贔屓の引き倒しだろうか?ジャッキー・チェンほどの素材を得て、この程度の映画しか作れないなんて…)
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