[コメント] Laundry〈ランドリー〉(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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見たかったので観にいきました。
上映時間2h06mという中途半端な長さも、“ロードムービー”と言われてしまえば、「ああそうか」と思える。映画なんて全てはロードムービーみたいなものなんだから、そういうことにするんだったら、ずるずるだらだら思う存分フィルムを回し続ければいい…ってなふうに思ってしまう(んなバカな)。そこでお気に入りの女優さんが主役を演じてたりすれば、もうそれで十分(私は)。
小雪の彫りの深い仮面のような顔立ちが好ましい。その顔立ちはフィルムの朧下な陰影の中にみずからのフォルムをはっきりと写し込みつつ、凡庸な人間らしい表情を安易に見せたりしない。それはひとことで言ってしまえば「映画的な顔」。「実写映画(フィルム)」であることを意識させる顔。たとえばMAYA MAXXのアニメーションから切り替わって差し込まれる実写の小雪の顔を見てしまった途端、「ああ(実写)映画…」なんて思わされてしまったりもする。それは直接的な「実在」としては人の手によるアニメーションの色と線には到底勝てやしない、そこで感触されるのはどうあっても「実在感」でしかないのだけれど、であるが故に逆にそれはその覚束なさの中で決して映ることがない「実在」と「実在感」との深淵を浮かびあがらせることができる。微妙に汗ばんで、暗めの照明の中に浮かびあがる小雪の顔はそれ故に艶めかしく、エロティック。どれだけ実在を誇示しつつもついに実在感でしかありえない、その顔。
街のコインランドリーの番人をしているちょっとおつむの弱い青年と、ふとしたことで彼と出会い付き合い始めることになるこころに傷持つ若い女性の物語。男の側を個性の乏しい“癒し系”にすれば、映画は彼に癒されるヒロインの物語を泥臭くならない平穏な心象のドラマとして映し出していくことができる。けれど、そこに本当にコミュニケーション(対話)と呼べるものはない。如何にも女性が思い描く御伽噺(ファンタジー)に思えたのだけれど、作り手は男性。「“癒し系”は“卑しい系”」なんていう皮肉な言い方も聞いたことがあるけれど、それは言い得て妙かもしれない。相手の個性を見とめず一方的に癒されたいなんていうのはあまりに卑しい根性だと言えるし、またそれにつけこんで“癒し系”のフリをして寄生するのもやはり卑しい。これって、一昔前で言ったら無知で弱い女とそれにつけこむヒモの関係では?…なんて言ってしまったら、ミもフタもないか。あーだこーだ言い争ってるカップルの方が、見ている分には面白いと思うけど(私は)。
それでも何故か見ていられたのは、やはりこれが路傍の風景(*)が映り込み続ける“ロードムービー”であって、そしてそこに小雪の顔があったから。ラストシーンの涙は、仮面の目に涙というかんじで、なんかセンチメンタルになった。笑っている顔も好きですが。(単なるミーハーというハナシもある。)
*)昔住んでいた高島平近辺の何と無く茫漠とした風景がちょっとだけでも映り込んでいたのが、個人的に親近感が湧いた。
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