[コメント] Laundry〈ランドリー〉(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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水絵(小雪)が、ぎくしゃくしていた妹にしつこく話しかけ、やや唐突に和解し、「ラクダ」の話で大笑いする芝居など、ホントにぬるいし、作り事めいている。「それを地球じゃ愛って呼ぶんだぜ。宇宙じゃ知らねえけどな」なんていう台詞も、なんだかJ-POPの歌詞みたいで上滑りして聞こえる。
水絵が捕まった後、テル(窪塚洋介)が泣きながら歩く場面で、安易な意味で「映画的」に大雨が降っているが、彼がコインランドリーに帰った時、この雨は、過去の傷を洗い流す水、という意味で、コインランドリーという、物語的には序盤でしか活躍していない場所の、象徴的な意味合いを匂わせているのかな、とも思えてくる。それは、テルが水絵の置き忘れた洗濯物を届けたり、彼女の洗濯物に付いた血を落とそうと、何度も洗濯していた事にも表れている。
ヒロインの「水絵」という名前からして、水に何かが託されているのであろう事は想像がつく。
コインランドリーに入ってしまう駄目ボクサーの、胎内回帰ですかと思ってしまう光景なども、コインランドリーに、新しい自分になりたい、という思いが託されている事が感じとれる。それを、ここを訪れる人々の群像劇として描けば面白かった筈なのだが。登場するお客さんたちもそれぞれ個性豊かなのに、それが充分活かされていないのが惜しい。
水絵が、新しい自分への転身を賭けて一度は跳び越えた水溜りを、心機一転のつもりで買った新品の靴で踏んでしまう場面や、最後に、出所した彼女を、幸せの黄色いハンカチのように迎える白い鳩たちなど、印象に残る場面が無いわけではない。テルが靴紐を結べた瞬間、水絵が捕まるという展開も、成長したテルと、変わりかけていたのにテルの壊した商品を隠したせいで元に引き戻される水絵、という構図の痛ましさに、この森淳一という人は必ずしも単なる甘ちゃんではない、と感じさせられる。
ただ、この水絵の人物像は、田舎出の女が東京の男に騙されたのを恨み、万引きという行為で、全く関係の無い他人に迷惑をかけ続けるという点や、妹へのベタベタした話しかけ方などから、どうにも依存心の強い幼稚な女という印象が先に立つ。もう少し、テルの純粋さや単純さと対照的な人物像に描かれていれば、水絵の心の隙間にテルが入り込む過程にも、より強いドラマ性が生まれたに違いないのだが。
やはりぬるい。物足りない。
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