[コメント] ぼくんち(2002/日)
この作品は、阪本監督のベタな人情喜劇の上手さが満ちていて、 笑って泣いて、満足のいく娯楽作品に仕上がっている。 現代版「男はつらいよ」みたいな感じか。
話は、スラム化している小島の兄弟、一太・二太の元に、 家出していた母と姉が戻ってくるところから始まる。 一太は小学校高学年くらいで、二太は幼稚園児くらいか。 母は姉を残してすぐにまた居なくなり、さらに、三人が住む家も売ってしまう。 兄弟と姉、三人の貧乏生活が始まり、幼い弟にとっては母親役に過ぎない姉を、 兄は時として女として意識する。 ピンサロで生活費を稼ぐ姉を、一太は時に咎め、時に抱きしめ、やがて姉から自立していく。 そんな兄弟を取り巻く島の住人達とのやりとりがこの作品の物語である。
スラムな街の住人達はこの家族も含めて、全員、何かが欠けている。 「何か」というより「いろんなモノ」が欠けている。 欠けすぎているから、却って、求めるモノがシンプルになってたりもする。 「普通の幸せ」もその一つ。 欠けていているモノが多すぎて、いろんなことに文句や不平をいうが、 それでも現状が「幸せ」だと感じる人達は、やっぱり、幸せそうに見える。 それが「儚い幸せ」だとしても。
例えば、街には一軒だけ食堂がある。 出す食事は異常にまずいが、たった一軒しか無いので、いつも繁盛している。 客もまずいまずいと不平をいいながら、残さずに食べている。 「味よりも腹を満たすこと」こそ、シンプルな「幸せ」なのだろう。 最後の方で、姉と母が並び、海を眺めながら仁王立ちでそこのラーメンをすするシーンがあるが、 やはり「まずいまずい」と文句をいいながらも、二人ともズルズルとすする。 その姿が非常に美しいのだ。
この作品の良さは、ファンタジーな要素が多い漫画原作の物語に、 さらなるファンタジー要素を加えている姉役の観月ありさにつきる。 原作の姉も「不幸と幸せを象徴する天使」のような設定になっていて、 やや原作よりも現実味を帯びた「天使」に設定は多少変わっているのだが、 そんな天使役に観月がとても魅力的にはまっているのだ。 観月の体格は、テレビドラマなどで他の役者と並ぶと異様な印象を与える。 観月は、頭が小さく手足は長く、おまけに童顔である。 それは、逆に単独で映ると非現実的なバランスで映える。 アニメのキャラクターのようだといえばわかりやすいか。 漫画が原作の天使役にぴったりなのだ。 おまけに、「汚れた天使」としても、出自のせいか違和感がまるでない。 青空を背景にヒラヒラと舞う観月の心象シーンも、見ていて飽きない。 観月の肢体無くしてこの映画は成り立たなかったとすら思えてしまう。
エンディングは、ヒネリの無いタテノリ系ガガガSPの「卒業」という、 「さよならーっさよならーっさよならーっ♪」な叫び声の歌をバックに、ダイジェスト映像が流れる。 こんなあざとい演出が、ボディブローのようにたった今見た映像を、「良い思い出」として蘇らせる。 監督の阪本順治はインタビュー記事で、 「これまでは泣ける場面は敢えて避けて来たが、今回は泣ける映像を試みた」、 と語っていたが、全編、そうした涙と笑いのツボを刺激する装置を設けていて、 それが全部、上手い具合に機能している。 直球勝負はしばしば格好悪く見えるものだが、実力のある者が行えば、下手な小細工など吹き飛んでしまう。 そんな勢いのある映画だった。
蛇足ながら、原作と比較するのは酷ではあるが、敢えて違う設定を加えたおかげで、 原作の味わいを汚すことのない、別バージョンとして十分成り立っていると思う。 阪本の力量はこういう所にも表れている。
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