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[コメント] 哀しみのトリスターナ(1970/仏=伊=スペイン)

自由の幻想。自由は幻想。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ビリディアナ』以来、久々に(そして最後に)全編故国スペインで撮影されたスペイン語映画なんだそうですね。そう考えると、一部スペインロケがある遺作『欲望のあいまいな対象』は、死ぬ前に故国を旅した映画だったのかもしれません。

特集上映でデジタル・リマスター版を再鑑賞したんですが、だいぶ感想が変わりました。長いこと「SとMが入れ替わる」立場逆転ドラマだと思っていたんですよ。なんなら「世界三大SM逆転映画」くらいのこと言ってましたよ。ちなみにあと2本は、若松孝二『胎児が密猟する時』とロマン・ポランスキー『毛皮のヴィーナス』ね。そこには普遍的な「男と女」の姿がある。

これ、トリスターナことドヌーヴが「自由」を求めても求めても「自由」になれない話なんじゃないかなあ?ブニュエル翁がよくやる「飯が食えねえ」「部屋から出られねえ」「ヤリたくてもヤレねえ」ってアレですよ、アレ。

二手に分かれた坂道でドヌーヴが道を選ぶシーンがあります。養父に束縛されていた彼女が、自分の意志で選択する「自由」を少しずつ得ていく。そういうシーンです。マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」かと思ったら、イプセンの「人形の家」だったというわけです。しかし、手に手を取った男との逃避行がもたらした(であろう)彼女の「自由」は、一時的なものでしかなかった。この間のトリスターナを描写していないんですよね。おそらく、彼女の「自由」で「幸福」な姿を意図的に排除している。そして次に登場した時には身体が「不自由」になっているという仕掛け。求めても手に入らない「自由」。これが本当の『自由の幻想』。

「自由」を求めているのはトリスターナだけではありません。軍隊と衝突するデモ隊の描写が入ることから(舞台は1920年代のスペインだそうで、相変わらず混迷の時代だったようです)、民衆も「自由」を求めていたのでしょう。スペインの室田日出男=フェルナンド・レイ演じる下級貴族も、金銭的な束縛から逃れて「自由」になりたいと願っています。実際彼は生活のため(金銭を稼ぐため)の労働を嫌悪します。でもね、みんな「自由」になれないんだ。金銭的な束縛から解放されてもトリスターナに束縛される。そして(スペインの)民衆は、(その歴史を見る限り)永久に自由を得られないんじゃないかと思うほど、闘争を繰り返している。

これがね、「身体が不自由になって精神的自由を得る」とか「執着から解き放たれて真に自由をもたらすのは死だけだった」とか「聾唖者こそが真の自由人だった」とか、もっともらしい「解答」があるといいんですけどね。なにせ「教訓のない寓話」だから。極めつけは、プレイバックする謎のラストシーン。プレイバック Part2。ばかにしないでよ。これで何もかも分からなくなる。ブニュエル翁は意図的に観客を煙に巻く。ふざけんなよジジイ。

1920年代の設定ということは、ブニュエルは1900年生まれなので、トリスターナとほぼ同世代ということになります。勝手な推測ですが、もしかすると本当にブニュエルの「プレイバック」だったんじゃないでしょうか?不自由な身の上で、自由を求めて、まるで怒りをぶちまけるかのように「革命」を奏でるドヌーヴの鬼気迫る姿。それは若きブニュエルの投影なのかもしれない・・・というのは考えすぎでしょうか?約10年ぶりに故国で撮った映画ですよね。ブニュエル翁、とぼけた顔してババンバンくらいのことやりますぜ。

(2022.02.05 角川シネマ有楽町にてデジタルリマスター版で再鑑賞)

(評価:★4)

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