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[コメント] リトル・チルドレン(2006/米)

かつてのハリウッド映画はメロドラマをこのようには描かなかった。メロドラマが発展的にそのパロディとしてひとつのジャンルを形成したのがトラジコメディ(悲喜劇)である。
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭からくどいほどに心理描写を代弁するナレーションがパロディの烙印である。ママさんたちと、公園デビューしたてのケイト・ウィンスレットの会話、そして何より人物の配置がコメディであることを告げている。

トラジコメディのルックスはシリアスなドラマを装う。それをコメディとして成立させるのは描写の客観性である。どの人物からも等距離を維持したキャメラ視点である。となるとキャラクター描写は必然的に群像劇を選択することになる。

もうひとつのコミカル要素は、冒頭にも記したとおり、過去の映画作品を含蓄していることである。これは見る側の映画体験の多寡に拠るから、それに気づかなくても作品が成立するように作られているのであるが、それでは面白さは半減してしまう。正確に引用元を指摘できなくても、そのムードからクラシック映画の(パロディとしての)香りを感じることができれば面白さは格段に増すだろう。

さて、本作であるが、シリアスなドラマの条件である芝居の上手さ、これは主役格は当然のことながら、脇役もまた極めて演技上手である。後半の「ボヴァリー夫人」討論会における奥様たちの会話芝居、ジャッキー・アール・ヘイリーとダイナーでデートする女優の演技など、台詞と表情、仕草といった細部が実に肌理細やかだ。そしてやはりケイト・ウィンスレットの生気溢れる芝居には魅了される。

タイトルからテーマを捻り出すならば、いい年をした大人が、まるで小さな子どものように我が儘に振舞う様子から、私たちはいつになったら成長するのだろう、というような風刺を感じることができるが、だがそうした子どもっぽさは、たとえ時代が変わっても、老若男女問わず人間が普遍的に持つ感情に通じているように思う。優れた群像劇を見た後に、そこはかとなく感じる人間の矮小さ、愚かさ、だからこその愛しさ、それが自分に跳ね返ってくるからモヤモヤした感じが残るのだが、それはそれでいいじゃないかと思えてしまうのである。

(評価:★4)

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