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[コメント] 戦国自衛隊1549(2005/日)

これでは戦国自衛隊ではなく、富士山麓でちまちま繰り広げられる「駿河の国自衛隊1949」である。正当なる続編である「続 戦国自衛隊」を用いた「戦国自衛隊1600」の方が映画化に相応しかった。
アルシュ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







戦国自衛隊1949』鑑賞前に、今をときめく福井晴敏氏の原作も読んでみた。映画化の為の書き下ろし作品であり、あっという間に読めてしまった。ところが、内容はそそられない。そして、概ね映画も原作通りだった。

「戦国自衛隊」の醍醐味は合戦シーンであり、近代兵器と騎馬・甲冑武者とのカルチャー・ギャップとミスマッチが面白いのだ。それが、前作では川中島の合戦で存分に描かれていた。私が嘱望する「続 戦国自衛隊」の映画化なら関ヶ原の合戦がメインであり、まさしく続編に相応しい舞台が用意されている。

この『戦国自衛隊1949』では、富士の麓での戦いで終始しており、近代兵器を見た戦国時代当時の人間のカルチャーショックもないし、あまつさえ、戦国時代の武者達が到着したばかりのロメオ隊を凌駕してしまっている。

また、貴重なメンバーが次々に死んでいき、そして近代兵器さえも戦国時代の人間によって無力化させられたりして、どうにも心細くなって行くのが前作と「続 戦国自衛隊」が物語に引き込まれていく要因だったと思っている。ところが、今回はその一人一人の死が全く悲しくないのだ。2時間枠で駆け足なのは致し方ないが、設定も福井晴敏氏の原作は7日間だったのに対して、映画は3日間とタイムリミットが短い。

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さて、その「続 戦国自衛隊」小説版は半村良原案により刊行されている。20数年後朝鮮有事の際に出征した自衛隊が、関ヶ原の合戦前の時代にまたも時空を超越してしまうというもの。

その続編の内容は兎も角として、最初の伊庭以下の戦国自衛隊のその後が記されていたので、ここに紹介します。

妙蓮寺で最期を飾った伊庭義明3尉以下の戦国自衛隊”とき衆”だったが、やはりと言うか伊庭は実際には存在していない信長の補完役だった。織田信長は確かに尾張のうつけ者として存在していたが、後の秀吉が伊庭を織田信長と摺り替えていたのだ。

伊庭の送り込まれた歴史は、彼らが現代で学んだものとは掛け離れたものであったが、戦国自衛隊の登場によって歴史が本来の歴史に修正されていったわけである。

伊庭3尉に可愛がられていた石庭竹秀(戦国の人間)は島田和秀(柴田勝家に該当)を筆頭としたとき衆の生き残りを北陸で攻め滅ぼすと、四国征伐から帰ってきた9名のとき衆を捕らえその後彼の屋敷に閉じ込めてしまう。のち天下人としての地位を握った竹秀は豊臣秀吉と名乗る。また、そのまま大坂城に幽閉された9名のとき衆は、お伽衆として秀吉に助言を与えるようになる。「検地と刀狩り」も、とき衆であるお伽衆の知恵である。

彼らは秀吉にその後の豊臣家が滅びる歴史を伝えるに及んで、秀吉から疎まれる。その中で命の危機を察して三河文康(後の徳川家康)に接触し、唯一大坂城を脱出したのが3等海曹三田村正信だった。彼はその後徳川家康の側に仕え、野心の無い家康に未来を知る者として、家康に天下人となる様に謀ごとを巡らし本多佐渡守正信と改名する。

一方で秀吉の元に残された8人のお伽衆は、関白豊臣秀次のありもしない謀反に加担したという罪で斬首させられる。

また、秀吉が天下を盗る際に、信長(伊庭)がこの時代の女性に生ませた子供を探し出してきて、清洲会議に登場したのが幼名三法師のちの織田信秀である。

ちなみにかまやつひろしのその後は不明。

さて、初作の20年後として続編にあたる「続 戦国自衛隊」は関ヶ原の合戦がメインに展開される。島和武3尉以下の自衛隊は石田三成配下として西軍に加担する事になるが、徳川家康の東軍側にはなんと○○○○軍が加担する。これ以上を知りたければ、「続 戦国自衛隊」を読むことをお勧めします。

どちらを映画化すれば面白かったかは解りますよね? 12億円が勿体ないです。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ピロちゃんきゅ〜[*] Osuone.B.Gloss[*] sawa:38[*]

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