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[コメント] 地雷を踏んだらサヨウナラ(1999/日)

若き戦場カメラマンの「アンコールワットを撮りたい」という情熱に制作の奥山和由がとことん惚れたのだろう。その想いには敬服する。だが、その情熱の源は何だったのだろう。そこをドラマで描くのが「映画」という媒体の役割なのに。
sawa:38

ノルマンディ上陸作戦に従軍したロバート・キャパは波間を前進してくる兵士たちを正面から撮影した。つまり彼は兵士よりも前を歩き砂浜を目指したのだ。ドイツ軍の銃火に背を向けてシャッターを切ったことが分かる。飛んでくる曳光弾から目をそらし背中をむけられるものなのか?

高校生だった頃沢田教一の写真集を買い求めた。ピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」は有名だったが、私の目が釘付けになった写真は、ベトコンの死体の脚をロープで括り装甲車で引き摺っている一枚の写真だった。衝撃だった。学生運動なんかは既に遠い過去になっていた時代だったが、私のベトナム戦争に対する考え方ひいては戦争そのものに対する思想が、この一枚で形作られたとも思う。それほどの衝撃だった。

戦場カメラマンという職業につく人間は特別な存在だと常々思っている。栄誉の裏腹にある恐怖。そして一枚の写真が伝える真実とその影響力。たった一枚の写真がそれこそ世界を変える原動力になる可能性すら秘めているのだ。

だからこそ知りたいのだ。いったい彼等は何を考え、何を求めていたのか。命と引き換えにしてまで撮りたいモノとは何なのか。

本作の製作者が一ノ瀬泰造というジャングルに消えた青年に対し多大な興味を持ち惚れ切ったのは、本作から4年後にドキュメンタリー映画『TAIZO』をも制作したことからもよく分かる。しかし、本作には上記の「何故」という疑問には何ら回答が用意されてはいなかった。作中で主人公自身もソレが何故だか分からないという台詞があった。実際そうだったのだろう。本作から伝わってくるのは、現地の民からも慕われ子供が好きだった青年ということぐらいだ。

映画はドラマだ。青年の人となりを描いてはみてもドラマには成りえない。青年の「何故」が分からなかったのなら分からなかったなりに、そこに最重点を据えてドラマを構築すべきだったのではないだろうか?

私等と何ら変わりない子供好きな青年だっただけならば、その青年が自ら戦場に赴くという行為は「戦場の狂気」に支配されたからなのか?それともそれすらを覆う「夢」や「情熱」「栄誉」だったのだろうか。この映画はそれらを描いているようでいて実は何も答えてくれはしなかった。

(評価:★3)

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