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[コメント] あゝ予科練(1968/日)

学徒出陣モノと違って本作に「原作」が無い理由を知り・・・
sawa:38

第十三期飛行予備学生の遺稿集をもとにして、『雲ながるる果てに』、第十四期飛行予備学生の遺稿集を元に制作された前作『あゝ同期の桜』。戦況の逼迫に伴い学業半ばで徴兵され、その多くが特攻で死んでいった学生たちである。彼等は当時の日本の将来を代表するであろうエリート予備軍であった。故に戦後の日本は多くの人材・頭脳を失った損失感とその悲劇性のために多くが語られている。

そういう学生たちに対し、予科練(飛行予科練習生の略)に志願してきた者は未だ幼く、学生たちが士官であるのに対し、彼等は下士官として処遇された。

彼等には「遺書」「日記」が少ないという。エリート学生たちに較べ知的な表現能力が幼かったという人もいる。だが、ある程度の自由があった士官に比べ、寝る時間しか自由時間が無かったと言われる下士官たち。さらにある程度「人格」が認められ自主判断で手紙が出せる士官に対し、下士官クラスは徹底した検閲があったという。

本音を伝える為に様々な努力・工作が行われたと聞く。ある者は編隊飛行を離脱して、実家上空から遺書を投下したというほどのエピソードを聞くにつれ・・・

故に予科練を題材とした本作には「原作」がないのだという。

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そして映画としての本作。

戦後数多く制作された「日本的戦争映画」の中で、この60年代モノには「自虐史観」とか「戦争責任」とかいったものはあまり見られない。そこにあるのは、ただ「散華」していった同年代の「友」や「父」への「追悼」があるだけである。

だからこそ哀しい。本作はそういった類いの作品群の中で異色を放つモノではない。それどころかズバリ直球の正統派で攻めてきている。そしてソレが見事に成功している。後年の作品では、銃後の女性を描かくことに視線が移りはじめるが、本作では藤純子大原麗子のふたりを絡ませながらもストーリーが脇道に逸れていくのを極力抑えている。

それにも関わらず彼女らふたりのインパクトは、「一家全滅」「亡き弟の想い」というキーワードでラストを締めるほど大きい。出演シーンの少なさをも補って余りある程の演技とオーラなのか。

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今晩、ビデオを見終わった途端に、ニュースではイラクでまた自爆テロが行われたと報じていた。

今の日本で自爆テロに共鳴する者も容認する者もいないだろう。分かりきったことだ。でも、だが、しかし・・・

世界中の人々が非難の声を上げても、「狂信的」・「命の重み」・「犬死に」と罵声を浴びせても、我々日本人は彼等を頭から斬って捨ててしまえるのだろうか?

私達は彼等の「結果」「戦果」を見るだけじゃなく、彼等の精神状態にまで想いを馳せる事が出来る唯一の国民ではないだろうか?

(評価:★5)

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