[コメント] こうのとり、たちずさんで(1991/スイス=仏=伊=ギリシャ)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
放浪する思想と思考、そして映像に残される果てしない緊張感だけが残る。ここまで圧倒的な映像を押しつけられると返す言葉もありません。アンゲロプロスは大変自分に厳しい映像を作る人ですが、ここでは優しさが現れています。
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国境という概念て日本人にあまり実感としてないんです。島国だから。でも欧州各国ではそれが当たり前。列車の移動で異国へ行くなんて日本では考えられないでしょ。船か飛行機になっちゃう。
この映画はボーダーについての作品。
文学者であり政治家でもある男が、ある日忽然と姿を消す。
そして主人公のジャーナリストはある国境を取材するうちに、その政治家がみすぼらしい生活をしているところを見つけ、彼がなぜ国境地帯にいるのかを取材する。
結局、戦争によって離れ離れになったいいなずけが国境をまたぐ川の向こうとこちら側でつつましい結婚式をあげられるように助力するために、この地に住まうこととなったことを知る。
細い線で仕切られた国境の持つ無意味。
愛し合う二人を分かつ無意味な戦争。
そんなテーマを引きずって作られた映画です。
とにかくテオ・エンゲロプロスのワンカットへのこだわりは見事です。
彼の作品はすべてこのワンカットにかかっている。
戦場のダンスパーティでジャーナリストと若い女性(いいなずけ)が出会う美しいシーンがあるんですけど、パーティの人ごみの中でお互いの姿は見えない。しかし、徐々に二人のが接近して触れ合うまでをワンシーンでつないでいるんですよ。これはすごいな。こういう撮り方はなかなかできない。
最後の長い長い結婚式のシーンも美しい。
このシーンを盛り上げるためにこの映画のディテールは進んでゆきますね。美しい。
川の向こうで大勢の黒い服を着た親族が並び、その真ん中を分けるように男性が現れ一輪の花を掲げます。
こちら側でも花嫁が黒服の親族に囲まれて神父に祝福してもらいます。
ああ、この健気で美しいシーン。どこからこのような発想が生まれるんでしょう。
ラストはテオ・アンゲロプロス作品でおなじみの黄色い服を着た人々が電信柱によじのぼって終わります。
この意味はわかりませんが、映画全体の風景を整理するために、この人たちが存在するような気がしていますね。
この映画を際立たせるのは何といってもマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローの共演でしょう。
二人は夫婦ですが、夫が突然失踪することで別れ別れになってしまいます。
そして運命の再会。
ここもワンカットで写します。
二人が橋の上で再会する。じっと見つめあう。その姿をジャーナリストはビデオでとらえる。そのビデオが妻にクリーズアップする。
しかし妻はカメラに向かって、
「人違いだわ」
いいえ、人違いなんかではありません。しかし、夫のあまりにもみすぼらしい変わり果てた姿を見て「人違い」と断定してその場を去る。
もうドキドキしました。最高のクライマックス。
ここで二人が抱き合ったりしたら嘘くさいですもんね。
ヨーロッパ最高の男優と女優が接近遭遇して結局触れ合うこともない。
こんなゴージャスな展開は予想できないでしょうね。
それにしてもテーマは重い。
人が人を殺める。
戦争がもたらす家族の分断。
意味のない国境。
これらの真実を「愛」をテーマにして描いている点が見事。
政治家役のマルチェロ・マストロヤンニが議会で最後の演説をするシーンもいいですね。
「人は時々、背後にある雨音に重なる音楽を聴くために沈黙する。」
それだけ語って議会を去る。
誰も気づかないことに本当の真実が隠されている。雨音にかき消される音楽。美しい音楽を聴くために、人生を捨てるという意味なんでしょうね。
衝撃的でした。
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