コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ゴッドファーザー(1972/米)

家族、このキャスティング、映像とカメラそしてニーノ・ロータのあのメロディ。
chokobo

僕はこの映画をなぜか『PART2』の後に見てしまっています。明らかに違う点、それはマーロン・ブランドです。凄いです。

当時日本は沖縄が返還される年であり、その後田中角栄さんが総理大臣になった年だ。年少ながら思い出すのは札幌オリンピック開催でジャンプ競技で上位独占したことを鮮明に覚えている。しかしながら日本映画は衰退の一途をたどっていて、オリンピックや浅間山荘事件などですでにテレビは我々の日常であり不可欠な存在であった。このソフトに対抗しうる日本映画は存在しなかったと言える。

当時すでに映画館通いをしていた私はこれをロードショーではなく、2流映画館で見たわけだが、その後製作された『PART2』から遡ることで本編の印象が随分異なって見えた。

映画はビトー・コルレオーネとマイケル・コルレオーネの関係を中心に進行するが『PART2』ではビトーの若き日が描かれている。これをデ・ニーロに演じさせたことが印象を強くしている。その仕草がマーロン・ブランドのビトーとそっくりだった。

マーロン・ブランドは明らかに落ち目だった。この映画で一気に失地挽回しようとしていたことは明かだ。若き日の反逆的でスピーディーなアクション俳優という印象から、個性派俳優への道を模索していたことが伺える。本人の努力もあって、この映画は正にブランドの『ゴッドファーザー』として君臨することができた。

思えばこれは家族の映画である。このドラマの行き着く所には常に家族が存在する。『PART2』の冒頭でも幼いビトー・コルレオーネが描かれているが、シシリー地方の家族のありかたが移民となってからもビトーの生き方に大きく影響していることを知る。しかしマイケルは必ずしもビトーと同化できない。時代もその理由であろうが、父が大切にした家族のありかたが大きく異なっていることを認識するのだ。

この映画がマフィアやギャングだけの茶番だったらこれほどの感動は呼ぶまい。家族のありかた。その単純で複雑な家族のあり方がこの映画を高い水準に押し上げているのである。

ニーノ・ロータのメロディーも素晴らしく胸に残る。あまりにも有名であるが、映画とはやはり映像とそして音楽の織りなす芸術なのだ。このメロディーなくしてこの名作は後世まで残らなかったのではないか。

余談だが当時ニーノ・ロータが来日して渋谷公会堂でタクトを振ったコンサートを私は見ている。かくも偉大な作曲家が日本で演奏することなど想像もできなかった。日本のオーケストラの技術がへたくそで、聞いていて素人ながらも失敗に終わったことを感じた。それでも偉大なるニーノ・ロータと同じ空気を体現できたことは至福の極みである。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)TOMIMORI[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。