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[コメント] バベル(2006/仏=米=メキシコ)

宗教的でありながら、現代の醜い部分をえぐる強烈な作品。グスターボ・サンタオラヤが耳から離れない。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







旧約聖書で、神がなぜバベルの塔を造ることをこころよく思わなかったのかわからないが、この映画の同時進行の中で見出されるいくつかの社会問題は、神がこころよく思わなかった理由について教えてくれる。

ひとつはマイケル・ムーアが『ボウリング・フォー・コロンバイン』で表現した銃に関する問題だ。アメリカの拳銃社会についてはこの映画で散々問題視されているのだが、この映画で集結する4つの国の中で、最も拳銃とは縁が遠い日本とモロッコという国で起きた事件に着目している点が面白い。それは実は、アメリカやメキシコの問題ではなくて、世界的な恐怖なのかもしれないと思わせる。そしてそれが戦争を彷彿とさせてもいる。

狩猟民族のモロッコと農耕民族の日本。この相反する民族の違いがありながら、日本から渡った拳銃(猟銃)が4つの国を結びつけるとは、驚きである。

そして子供についての問題だ。私たちは知らず知らずのうちに、現代の忙しさの中でいつの間にか子供を傷つけているのではないか。そんな痛みをアメリカの小さな兄妹と日本の聾の高校生に見出すことができる。子供という存在を無視して、親の都合で彼らをいつの間にか傷つけているとを自覚していない。そんな気にさせるエピソードである。モロッコの兄弟もそうだ。民族の問題とはいえ、子供を仕事に従事させ、彼らの欲望を抑圧し、その抑圧の中から不思議な事件は起こる。(弟のオナニーシーンがそれを象徴している)

そして貧困だ。それはメキシコの乳母、そしてモロッコの羊飼いに見出される。彼らは無垢だ。そしてそれぞれの目的の中で無意識に行動する。与えられた条件の中で精一杯の生活と行動をする。しかし、それが世間(社会)に必ずしも理解を得られない。

最後、日本人親子が超高層マンションのベランダで抱き合うシーンがある。

これがバベルの塔なのだろうか?

最後にこの都市の高層ビルを写すことで、バベルの塔が必ずしも人々の思うような魅力的な塔でないことを表現している。そしてこれが神が忌み嫌ったことなのだろうかと思わせる。

そもそも、日本はキリスト教とは別の宗教を基礎とする民族である。聖書にあるバベルとは縁遠い国から派生した拳銃が世界を震撼させる大事件となって駆け巡る。

そしてそこにもたらされる死。

神がなぜ言語の異なる者を集め、なぜこの映画でこれらの国々がひとつのスクリーンに集められたのか、少しだけわかったような気がする。

2008/6/9 追記

この映画の印象をより具体化するメロディは坂本龍一が作曲したものと聞いた。確かに冷静にこの曲を聴き、映画のシーンを思い浮かべると、その寂しさの中で生きる人々の心情と、混乱の中に巻き込まれる数々のエピソードが曲の旋律とともに蘇る。

特にこの曲の後半にもたらされる複雑な音色は、この映画そのものを象徴していて美しい。

とても印象的だった。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)sawa:38[*] デナ

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