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[コメント] 幸福〈しあわせ〉(1965/仏)

幸福という装置が、カチッとひと回りして、元通り。
reif

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いわゆる難解な映画じゃないのに、何だかサッパリわからない。

幸福な夏の向日葵から始まる。画面の遠く、日曜日に小さな子供二人を連れて森へピクニックに行く幸福な若い家族。男は叔父の建具店を手伝い、妻は洋裁の仕事はどちらも順調。子供は可愛い盛りで下の子がやっと喋りはじめるところだ。男は妻を愛していて、幸福だ。

出張先の土地の電話局で、交換手の美しい女に出会う、一目で愛する。女は男の土地に間もなく転属になると言う。引越したその日から不倫?密会?が始まる。男は愛と幸福が増えて幸せだと言う。女は幸せだと言う。みんな幸せ。

それから男が日曜日の森のピクニックで妻に「愛が増えた」と告げる。妻は「もっともっと愛する」と応え、午睡の後、森の外れの池に入水自殺する(素早い)。

男は女に結婚を問う。「子供と仲良くなって欲しい」(おいおいおい)。秋が深まる頃、同じ形態の新しい家族が森の中を歩いて行く。終。

あらすじを書くと、見事な「起承転結」だった。

・略奪愛だって幸福になる権利がある(1965年当時)

・愛の真実と幸福は両立困難である

・どんな状況でも自らの幸福に忠実だと幸福になれる

・犠牲者の屍を踏み越えて幸福へ進め

・ちょっとした障害を乗り越え、より望ましい幸福を手に入れた

・幸福の形態は凡庸である

などの教訓が手軽に引き出せるが、だから何なんだ。因果応報のない不条理?

男はずっと幸せでした。妻は(死んだので)今は幸せでしょう。女はずっと幸せです。何が起ころうと、みんな幸せなんだよなぁ。

・幸福は(努力の成果でなく)一つの状態である

・幸福という強力な装置の上で回る無反省な人たち

家族A(含む妻)と家族B(含む女)が同質なのか異質なのかで解釈が変わってくる。描き方は、同質と読める。

象徴をこじつければ、家族Aは子供が中、家族Bは大人が中という四人の並びの違いがあった。ここを強調して「新しい家族」の誕生とする(妄想)。

幸福の温かな平坦さを皮肉に曲解するなら、妻(=植物)に対比された女(=自由な動物)が森に入るのは馴致であり、(暗示すら為されていない)破綻が約束されている。中心は男の幸福で、女は代替可能な役で反復されるとする(妄想)。

どれでもいいけど、サッパリわからない。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ひゅうちゃん Orpheus 埴猪口[*] ジャイアント白田 のこのこ

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