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[コメント] コンタクト(1997/米)

アウタースペース・エクスプロージョン(outer-space explosion)とインナースペース・インプロージョン(inner-space implosion)がねじれるメビウスの輪。「ロバート・ゼメキス再婚、おめでとう」記念(2001/12/7)

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







近代(科学者の女)と前近代(神学者の男)をつないでしまう、どこか‘いびつな’映画だった。さらには、SFとメロドラマとオイディプス・コンプレックス(この映画はなぜ「母」が全く描かれなかったのか?)という極めて古典的な物語の上に構築されたポストモダンなCG映像。そこにも、同じような‘いびつさ’がある。この映画がどのSF映画にも似てないように感じられるのは、その‘いびつさ’のためだろう。たとえば、ロン・ハワードの『アポロ13』ならば、ストーリーのノンフィクション性によってある種のリアリティが保障されていたが、この映画には、そんなリアリティがあるようで実は微塵もない。

結局のところ、ジョディ・フォスターが出会ったのは、(外部から来た)本当の宇宙人だったのか、それとも彼女の妄想(内部)が産み出したフェイク=偽の記憶だったのか。ゼメキスは映像によって、そのどちらか判断できるような情報を示してはくれない。むしろ、『フォレストガンプ』のように、「過去」の映像(フェイク)と「現在」の映像(リアル)をまるで同じ時間軸にあるごとく合成してしまったように、内部と外部を何の区別もなく提示しているのだ(その‘いびつさ’!)。ある意味で『フォレストガンプ』のように「目に見えている映像を信用できない」、つまり、リアルの底が抜けてしまっている。ただ確かなのは、フォスターが「わたしは絶対に宇宙人に会ったのだ」とひたすら主張しつづける根拠のない強がりだけである。まるでこの映画の出来事すべてが、夢に過ぎなかったのだとでも言うかのように、彼女は突き放される・・・・・・。

内=私が外=宇宙へ裏返り、外=宇宙が内=私へ入り込み(『コンタクト』)、「過去」と「現在」と「未来」が分裂症的に入り乱れ(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレストガンプ』)ていくメビウスの輪。ゼメキスよ、お前は一体どこにいるのだ?!

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)Myurakz[*]

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