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[コメント] 耳をすませば(1995/日)

この作品自体が、もっと「荒けずり」でも良かったのでは?
ちわわ

愚痴っぽくかかせてもらいます。

バイオリン造りで留学を考える少年と文学志望の少女の恋。 設定を受け入れるのがしんどい。本当に「絵に描いたような」 少年少女だ。 確かに、何かに打ち込んでいる若い人をみると魅力的だ。 けれど、将来とかいろいろなことが人間のなかにふりかかるって いうのは、そんなに肯定的な側面ばかりではない。

俺なんて所詮この程度の人間だ、とか、俺は他人よりすごいぜ、とか いろんな複雑な感情がたくさんでてくる。ルサンチマンといってよい。 これは例えば「ライバル感情」なんて 言葉で美化され中和されているのだけれども、そもそも「ライバル」なんて 言葉はそのための装置にすぎない。そんなものはない。明るみになるのは、 陳腐な型にむかって自己規定を強いられる人間たちばかり。

ここで登場人物が大人が理想とする少年少女なのは、そもそも当然なのである。

理想的な少年少女は、理想的に努力する。(適当に挫折する) 理想的に恋愛する。(恋愛で全てを美化する)

ああ、あの頃あんなことに打ち込んで、あんなガールフレンドがいたら よかったのにな、なんて結構いい年になりつつある僕は感じてしまう。 でもそれが、落とし穴。

僕らは作品の水準だけで楽しめるし楽しもうとする。こんな少年少女は いいな、と感じるだけでも、作品を楽しめる。 でも今現に、少年少女であるひとは、本当にこのアニメの世界をいい、 と感じれるのだろうか?むしろ、ぼくはそう感じてもらいたくない気がする。 反撥するほうが、ずっと、正しいであろう。

この作品で、何かを美化するならば、全然違う点だったはずだと思う。 北野の「キッズ・リターン」を思い出した。あれは、まだしも正しい 解決に向かっているように思う。

(評価:★2)

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