[コメント] 悲情城市(1989/台湾)
家族をとおして見つめられる、「今」につながる或る時代。
おそらく台湾では、特別ではないひとつの大家族。日本では近年見られなく なったが、どこか懐かしい大家族。
「家族」とは、不思議な集合体だと、しばし思う。どれほど共同生活を していても、それぞれが違った思惑をもって、しかも互いに影響をされあう。 ひとりのミスが全員に及ぼす影響。でも、その関係には確かに、忘れられない 大切な何かがある。
ひとつの家族をとおして、照らし出されるひとつの時代は、その時代のもつ 潜在性である。ドラマチックな構成はわざと避けることで、ある時代が ひとに刻んだこころの傷、その言葉がわざとらしいのなら、「意味」と 言い換えてもいい。それが見えてくるのだ。その意味が今の「台湾」のもつ 意味でもあることに気がつく。
そして、 わたしたちが、生きているこの時代も、未来につづく潜在的な意味を、 担っているということも。
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