[コメント] 息子の部屋(2001/仏=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ナンニ・モレッティ、役者である。出会いは『パードレ・パドローネ』、頑固な父親の話でタヴィアーニ兄弟、そう、あの『グッドモ−ニング・バビロン』のあのタヴィアーニ兄弟。しつこくしつこく映像を積み重ねる。そしてヨーロッパのいかにも巨匠。イタリア映画は素晴らしい。フェリーニのヴィスコンティのアントニオーニのスコラのベルトルッチの、あのイタリア映画である。これぞイタリア映画。見事な家族の熱いそして優しく厳しい人間関係。この表現こそイタリアの熱い熱い血である。
物語は精神分析医の家族の話。先生である夫、妻は出版関係の仕事か、お姉さんと弟。四人家族。
ある日、弟のアンドレアが学校の教材を盗んだ疑いで先生に呼び出される。この時の家族、お父さんお母さん、いずれも許す。子供を信じている。疑わない。ここが面白い。日本だったらあまりに自分の子を贔屓目にするがあまり、周囲と隔たりが生まれてしまう。イタリアはそういう国。愛することに熱い国。信じることを恥ずかしがらない。ここがいい。
しかし、アンドレアはお母さんに「実は僕がやった」と告白する。嘘だった。ここでも母は優しい。子供の首を抱いて、体で表現する。悲しい。子供が嘘をついた。でもアンドレアも嘘を告白した。叱りたい、でも告白した勇気を讃えたい。よく告白した。でも悪いことは嘘をつくこと。この迷い。母ラウラ・モランテは見事に演じます。この映画の花である。素晴らしい女優、綺麗な女優。母の思いが見事に演じられている。
その息子、潜水中に死んでしまう。ここから家族が崩壊してゆく。息子は死んでしまった日。お父さんは息子をジョギングに誘う。久しぶりの親子の会話を楽しみにしていたのに、そこに患者から「すぐ会いたい」の電話。久しぶりの親子の会話が遮られる。そしてその日に息子は死んでしまう。あのとき、患者の依頼を断って息子とジョギングしていれば良かった。死なずにすんだ、そういう思いが父親に残ってしまう。
父親は精神分析医。患者を助けるのが仕事である。しかし、子供の死を境に患者と同化してしまう。この恐ろしさ。ある患者は別れを告げ、ある患者は「騙した!」と部屋中を荒らしてしまう。この逆転。立場と精神の逆転。先生が患者となってしまう。この恐ろしさ。恐怖である。このあたりの表現を苦もなくできてしまうこの監督の手腕は見事である。
息子とキャンプで知り合った女の子から手紙が舞い込む。家族はその彼女に会いたいと思う。決して綺麗じゃないこの女の子。なぜか彼氏とヒッチハイクの途中、この家族の家に立ち寄る。不思議な関係である。そして息子、アンドレアが彼女に自分の部屋を自慢していたことを教えてくれる。
この感動は何かと考える。家族、そして息子の部屋、部屋には温もりがある。あの嘘をついた息子、でも優しい父と母と姉。この家族に囲まれて幸せだったアンドレア。息子の部屋。その面影と温もりが不思議と画面のどこかに表現されているような錯覚を覚える。
見事な表現。見事な演技。見事な音楽とカメラ。
見終えて時間が経過するほどに記憶が蘇る不思議な映画。
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