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[コメント] デルフィーヌの場合(1999/仏)

「若気の至り」というやつじゃなかろうか。
セネダ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







デルフィーヌが精神的な意味でも「少女」から「女」(逞しさを感じる)になっていく過程がおもしろい。

冷静な判断を狂わすほどの無償の愛があってもよい。それを行為としてあらわすのに、アイする人が一番望むことならば、どれが良くて悪いかなんてないと思うけど。やはりあの行為は「愛」というよりも「幼さゆえ」の結果。ばあ様との対話で彼女は決心したようだが・・・。経済的にも力が無く、精神的にも未熟な若者ゆえの悲劇(解決方法のレパートリーを持ってない)。

※上記に関して後日追記。「解決方法のレパートリーをもってない」→「あの時点で彼女に出来る最大限の行為」なんだよね。若気の至りと簡単に言えないのかもしれない。やっぱり愛か・・・。自分の中で答えがでない。※

デルフィーヌが行った行為自体「愛」が無ければ出来ないことなのに(まっ、これは人それぞれでしょうが)、金を稼ぐために、自分を愛しているならやってくれと提案する男。アイするがゆえに、「愛」なしでは出来ない行為を、アイする男に捧げる女。ひどい矛盾を感じる。

「愛」という字がいっぱいだ!

ロラン役の子はなんとなくリバー・フェニックスに顔が似ていた。

(評価:★3)

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