[コメント] 蝶の舌(1999/スペイン)
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先生は、いっぱい話し、あるだけのものを見せようとする。 だからって今、先生がしゃべっていることを完全に理解出来なくたっていい。 たとえば顕微鏡。 今は、蝶の舌を観察することができる道具があるってことを知っていればいい。 そのことがいつか役に立つ日が来るかもしれない。 もちろん来ないかも知れない。 でもそれでいい。 ただ、もしもある日、使い方も知らない顕微鏡なるものの前に立って、途方にくれるあなたが、その使い方を知ろうとして本を開くとき、あなたは確実に成長する。 そのとき、新しい知識を、本が与えてくれるってことをあなたは既に知っている。それを先生から教わった。 じゃあ、本はどこにある? 図書館? で、どんな種類の本を見ればいい? ひょっとしたら生物の本? そのときもし、字が読めなかったら? 文字を覚えるところへまで戻って勉強して、また図書館へ行けばいい。 もちろん、もう図書館へ戻らなかったとしても、ぶたれるようなことじゃない。
学習していくって、こんな行ったり来たりの無数の作業の結果をうまくつなぎ合わせて、積み重ねていくことなんだって、改めて思う。 それが、速い人もいれば、遅い人もいるし、一度にたくさん処理できる人もいれば、一つずつじゃないとかなわん人もいる。 だからって、グレゴリオ先生は、少しも驚いたり慌てたりしない。 でも、願わくば、自分の世界を一歩でも二歩でも、広げてほしいと思っている。 だから、先生は惜しみなくたくさんしゃべる、見せる、たとえ、子供に理解不能と思われるようなことでも。 グレゴリオ先生の存在が、私には圧倒的だった。先生の姿を見ていて、合理的で、高効率で、高効果な教育なんて多分ないんだって思えた。 それにしても、モンチョが好きな子に花をあげるシーンを見てください。 先生の教えたこと、ちゃんと実になってるじゃないですか(笑)。
はじめてモンチョの家を訪ねるところからもう、その後の身の上が心配されるグレゴリオ先生。 すでに、過酷な歴史のひずみが先生を呑み込もうとしていた。 連行される人々の中に、あのアコーデオン弾きをみつけて言葉をなくす兄と、必死で父親を守ろうとする親友ロケの姿が、とても自然な反応に思え、正直、あのモンチョの行動は、私には理解できなかった。 もちろん、母親のしたことも、父親のしたことも。 そして、グレゴリオ先生を見つけたモンチョの驚き。 先生は、あの瞬間、悪者になった。 最後にモンチョが罵り、石を掴んで駆け出したときはショックだった。 それでも、先生は、怒っても、悲しんでもいないはず。 今は、これでいいのかも知れない。 いつか、あの日の先生の姿を思い出して、すっかり理解できる時が、きっと来る。
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