[コメント] 音楽(1972/日)
原作が三島由紀夫だからか・・・、増村保造本来のものより形式的になってるような気がする。
ここまでも増村保造も基本になる <義務> vs <感情> の構図は出て来てるんだけど、いかんせん原作が三島由紀夫、どうしても形式的になるのはやむおえないのか・・・。
基本的に三島由紀夫と増村保造の本質とは合わないような気がする。 三島由紀夫の場合は、どうしても人工的に作られた根拠を基本に物語を展開していく、黒澤明的なお話づくりだけど、増村保造のそれはイングマル・ベルイマン的な精神構造で映画がつくられていると思う。 これって、合体すればこの『音楽』みたいになるけど、でも本質的には合わないような・・・。
今回も、映画的には増村保造のテイストなんだけど、見終わったあと“おお〜〜〜”っておもえるそれがないんだ。 それっていうのはきっと、<真実>へのアプローチなんだろうけど、 三島由紀夫の場合は虚栄心をコアにした物語で、<真実>を意地でも隠しとおして、そのカモフラージュとして構成した人工的な舞台劇だからなのだろう。
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