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[コメント] イヴの総て(1950/米)

人生という劇場。 しかし、見終わったあとの爽快感は何か。
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







悪女ものがしばしばそうであるように、この映画でもイヴの行為は完全に 否定されてはいない。むしろどこか共感さえ感じてしまう。

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イヴが心からマーゴを尊敬していた、というのは恐らく事実であろう。 だが、彼女は自らの野心に忠実に行動する。自己自身の将来像を実現するために。 最後の新しいイヴ登場シーンは、こんな行為が繰り返されることで華やかな舞台が繰り返されることを強調しているように思われる。

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マーゴにとって、問題は別である。彼女は既に「大女優」であるからだ。 マーゴは大女優を演じなければならない。むしろ過去を保持しなければ ならない立場だ。しかし彼女自身が蔑ろにしていたもの、「女性としての生活」 の重大性が年齢とともに彼女にのしかかる。 彼女にとっては、過去の名声の保持がそのまま将来像になっているのかもしれない。

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なによりもこの映画で特徴的なのは、評論家アディソンの 眼差しである。アディソンもイヴと同様、冷酷に人間の将来像を見据えて行為する。 彼はまるで神のように、マーゴの運命を決定し、イヴの運命を決定する。

だがそのような彼だから、イヴが嘗て出会った人生の選択肢を見据えてもいる。 あえて将来像を実現するために、周囲の人間を陥れる、そのまさにその時を見据える のである。

<イヴの総て>という題名が示しているように、この映画のポイントは、まるで 神のように凡てを見据える眼差しなのである。アディソンの眼差しは過去から現在 までを自由自在に移動する。

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でありながら、予定調和のような印象をのこさないのは何故か? それは、人間関係の複雑な網の目をとらえようとする視点、それに 舞台をめぐる、人間の激しい感情をとらえようとする眼差しがゆえだと 思われる。

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ベティ・デイビスとアン・バクスターの演技はいわずもがな。 素晴らしい。

(評価:★4)

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