[コメント] 「A」(1998/日)
話を聞き出すナチュラルなスタンス
マスコミの異常な取材攻勢とか警察の不当逮捕などをオウム側から見た映画という見方もあるとは思うが、それよりも監督が素朴にオウムをとらえようとしている(結局とらえられてはいないが)姿が印象的。マスコミに代表される社会が自分の中にあるイメージを単に確認するために質問して堂々巡りになるのとは異なり、素朴な質問を繰り返すスタンスが、自然な応対を引き出している。ただ、時折入る凡庸な追及は、バランスを欠いている。エンディングも、監督の主観で凡庸な形で荒木をまとめようとしてはいないか。
オウムとそれに対する人々との間のずれは最後まで埋められないが、それはそういうものなのであり、どうこういう言うべきものではない。
意地悪な見方をすれば、マスコミも反対住民も人権側も監督を含めたその他の人々も、オウムを共通の土台として妙に充実した瞬間を過ごしている姿が生に映し出されているのが面白い。オウムを契機とする人生の充実は、この映画に限らず、オウムをめぐるすべての現象についていえることではあるのだが。
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