[コメント] バスキア(1996/米)
ゲイジツとはなんぞや? ゲイジツ家だって知らないだろう。でも、考えることは出来る。
芸術に理由を求めたってムダ。つくる者がいて、観る者がいれば芸術は成立するのだ。芸術なんてただそれだけのこと。周囲に「芸術作品」をありがたがる金持ちがいれば、たかが芸術家でも資本主義の基本である「おカネ」のおすそわけにあえる。いわゆる著名な芸術家なんて、時代がちがって批評家の面々がちがえば、一生暗く貧しい人生をおくっていたかもしれないのだ。 芸術に定義なんてない。
だから、芸術家が絵を描く理由とか、バスキアはそれでいったい何を考えていたのか、など<ディープな謎解き>を期待すると失望するからこの映画は観ないほうがいい。そこに解答を期待する人は、この映画は楽しめない。
そのかわり、ものをつくったことのある人ならば、「オレもぼちぼちやってこうかな」と思える衝動がえられる。私はここに、この映画の存在理由をみる。
さいごに付け加えておこう。 「芸術家は芸術を壊そうとする」ものなのだそうだ。
牛をまっぷたつにカチ割っただけのモノが、芸術として表通りを闊歩する今日この頃。時代はストリート系から、コンセプトで勝負するコンセプチュアル・アートに移っている。この先はどこに行くんでしょうね。
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