[コメント] シベリア超特急(1996/日)
= 馬鹿映画について =
馬鹿映画ってのは大別して二つあると思います。
一つは作り手が「分かって」やっている馬鹿映画。キューブリックの『Dr. Strangelove』やバーホーベンの『スターシップ・トゥルーパーズ』なんかが代表になるのかな。作り手はわざとエキセントリックな真似をするんだけど、大抵の場合、それは強烈なブラックジョークなのが特徴。
これらの映画を見た場合、ある人は「馬鹿だなあ」の一言で終わってしまうかもしれない。ある人は作り手の意図を読み、劇場を立ち去る際に思わず「ニヤリ」としてしまうかもしれない。また、ある人は作り手の意図が読めたが故に、悪趣味に過ぎると不快感を表すかもしれない。
様々な反応がきっとある。でもそれは悪いことじゃないやね。映画なんて見た人が好き勝手に楽しめばいいんだから。それだけ想像力の可能性があるってことだろうし、もちろん多分に議論の余地も生まれてくるだろう。何より、作り手が「分かって」やっているというのは色々な意味で強み。
では、もう一つの馬鹿映画とは? それは作り手が「分かってない」でやっている馬鹿映画。『シベリア超特急』は(悪いとは思うけど)間違いなくこれ。ただ突飛なだけ。奇抜なだけ。エキセントリックなだけの映画。
これらの映画を見た場合、感想が「馬鹿だ」の一言しか生まれてこない。もちろん議論の余地もない。作り手の稚拙さを笑うだけだったり、荒唐無稽なストーリーを笑うだけだから。(変な例えだが、前者を笑うのはアホの坂田を笑うこと、後者を笑うのは鈴木宗男を笑うことに似ているかもしれない)
『シベ超』は水野晴郎主演・監督だからこそのカルト的人気を得た特殊な映画ではある。こんなのは滅多にない。だけど、それが怖いと言えば怖い気がちょっとだけするんです。
あなたの周りにもいませんか?
カルト大好きでサブカル大好きな、自称はしていないんだけどインテリだと思われたくて仕方ないと思っている人。人とは違う物が好きで、ここぞとばかりに『シベ超』を見つけだしてきたような人。
こんな人達が間違ってブームを作り出したらどうします?
しかもそのブームであるところの「これからの時代は突飛で奇抜でエキセントリックな映画がスタイリッシュ」ブームの火付け役に『シベ超』がなっちゃったらどうします?
こうなったらもう馬鹿スパイラル。
馬鹿映画が飛ぶように上映される。ブームに乗っかり作り手は「分かってない」観客に対して「分かってない」でやってるような振りをして映画を作る。「分かってない」観客は「馬鹿だ」と喜ぶ。「馬鹿だ」と喜ぶことがブームなのだ。全ての映画は稚拙な演技と大どんでん返し。観客は「馬鹿だ」と笑う。稚拙な演技だけでは物足りなくなって、仕舞いにはタブーの領域へ。ブラックジョークでも何でもなく、ただの悪趣味。「馬鹿だ」「馬鹿だ」「馬鹿だ」「もっと馬鹿を」「もっと馬鹿を見せろ」「馬鹿が見たいんだよ!!」「馬鹿を出せ」「馬鹿」「馬鹿」「馬鹿」「馬鹿」こんなコメントがここにも。嗚呼一億総白痴化計画ここに極まれり。
思考 = 停止
そんなことを考えるとですね、やっぱり『シベ超』は☆一つが妥当かと思い、栄光の☆一つを付けさせていただきました。ただ、水野晴郎様のやったことは素晴らしいことだと思います。批評家が映画を作るなんてあり得ないことです。凄く映画が好きなんだなあってのが伝わってきます。これからも面白い続編をお願いします。
最後になりますが、「水野晴郎主演で『奇人たちの晩餐会』を撮ったら面白そうだと思うのは私だけですか? もちろん監督も水野晴郎。想像を絶する作品になりそうだ・・・。」という私のコメントは性質の悪いブラックジョークでした。気に入った方はもちろん、不快に思われた方はなおさらお気に入りに投票を。
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